COLUMN ビジネスシンカー

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2020.06

ポストコロナ時代の羅針盤
知って目からウロコ!
開疎化の時代の産業集積入門

漁業と鰹節製造業を分離し、
特価して名産の名を奪還

しかし、明治に入り各生産地が行政と一体になって品質向上に取り組むと枕崎は取り残される。品評会でも土佐、焼津に差をつけられるようになったのだ。そこで枕崎の鰹節業者は遅ればせながら県と官民一体で改良に取り組むことにしたのだった。焼津から指導者を招いて指導を受ける一方で、乾燥機械の工夫がなされた。こうして明治の終わりには、土佐や焼津の製法ノウハウやエッセンスを取り入れ、再び名声を回復した。

枕崎の鰹節は従来、カツオ漁を営む船主が自営で製造していた。しかしまた時代が下るにつれて製造工程が多くなり、複雑化すると日数もかかるようになっていった。

枕崎の鰹節は従来、カツオ漁を営む船主が自営で製造していた。しかしまた時代が下るにつれて製造工程が多くなり、複雑化すると日数もかかるようになっていった。

またカツオ漁も時代が下るにつれて沿岸から近海、遠洋へと次第に広がっていく。すると漁も鰹節づくり、それぞれが手間も時間もかかるようになり、船主がそれを両立させることに負担を感じるようになる。

そこで枕崎では1925年に漁業と製造の分離を行う。カツオ漁と鰹節製造を分け、鰹節製造を専業化することでさらなる品質の向上や生産の合理化を図ったのだ。

またカツオ漁にも一本釣りとまき網があるが、一本釣りのほうが魚のストレスが少なくて済み、質が保てる。枕崎は一本釣りを守っている。材料である魚の扱い方にも差が出ているのだ。その漁法の差も枕崎をシェアトップに君臨させている理由の1つなのだ。

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