COLUMN ビジネスシンカー

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2021.03

知らずに「奴隷労働の手先」になってはいないか 知っておくべき
”サプライチェーンのいま”<前編>

200年前に奴隷解放を実現した英国が
2015年、新たに「現代奴隷法」を成立

2015年、英国で一つの画期的な法律が誕生した。「現代奴隷法(Modern Slavery Act 2015)」。

21世紀に入って10年以上も過ぎた現代に、なぜいまさら奴隷法などを制定する意義があるのかと驚かれる人も多いだろう。歴史を知る人であればおわかりのように、すでに英国では奴隷解放のための法律が2世紀近く前に成立しているからだ。

英国が7つの大洋を制していた時代。いわゆるパックス・ブリタニカ時代にあっては、植民地を世界中に広げる三角貿易の柱の一つとして、英国が奴隷貿易を行っていたことは知られている通り。

しかし産業革命以降、都市部の労働者の労働環境や生活環境が問題視されるようになると、もっとも劣悪な環境にいた黒人奴隷が問題化した。熱心なキリスト教徒の福音主義者などから奴隷貿易や奴隷制度に対する批判が高まっていき、1807年に奴隷貿易禁止法が制定されてる。

だが国内では奴隷はいなくなっていったが、植民地では消えなかった。たとえば西インド諸島のジャマイカなどでは砂糖プランテーションの農園主などが奴隷を使って富を蓄えており、その農園主自身がその富を背景に国会議員として力をもっていたからだ。これを問題視した国会議員のウィルバーフォースらは反奴隷制度の協会を設立するなどし、奴隷解放運動を活発化させていく。英国内でのこうした運動の広がりは海外の植民地にも波及し、1831年にはジャマイカで6万人の反乱を招く。これを機に選挙制度の改定などが行われ、プランテーション農園主などの議員が落選した。こうして議会の勢力図が変わると、1833年に奴隷制度廃止法が成立、英国外の植民地すべてにおいて奴隷が解放されたのだった。奴隷解放の手続きは、奴隷所有者に対し英国政府が200万ポンドを払う有償形式で進められた。この手続は1838年まで続いた。

このように奴隷解放は一気に行われたわけではなく、社会の動向を見ながら法律や制度を変えるなど、まさに手を変え品を変えながら、進められた。

英国のこの一連の取り組みは他の欧州各国にも波及し、世界的な奴隷解放の流れにつながっていった。

その速度は地域によって異なり、アメリカ合衆国では1863年のリンカーン大統領の奴隷解放まで待たなければならなかったし、さらにブラジルでは1888年まで合法的奴隷制は続いた。

数十年の時差はあったが、少なくとも世界的な奴隷解放は100年前にはなされていた。

それがいまだに...なぜ?

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