COLUMN ビジネスシンカー

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2021.04

天才作曲家ヴィヴァルディを支えた
世界初の女性楽団
「フィーリエ・デル・コーロ」

兼業プロフェショナル
演奏家でもあったフィーリエ

ピエタはほかのオスペダーレと同じように、当時の上流階級のボランティア理事会で運営されていた。教会からは独立していたが、なかの生活は修道院に近かった。

ここでは、子どもたちもピエタを回していくために何らかの労働をしていた。年齢や性別によって住まいが分けられ、毎日ミサがあり、定期的に懺悔もした。外に出て田舎に遠出できるのは1年に1度だけだった。厳しい生活だったが、身寄りのない彼女、彼らにはメリットは大きかった。

子どもたちには読み書きや、計算などの生活のための基本的技能のほか、裁縫や糸つむぎなどの職業訓練も施された。ピエタを出て薬剤師になったり、クリーニング師、帆船の帆の修復の専門家になる少年少女もいた。少年の場合は、ピエタを出るために仕事を覚えるか、海軍に入るかした。

少女の場合、ピエタを出るのは大抵結婚が決まった時だったが、持参金が貯まってもピエタに残る女性のほうが多かった。貯めたお金を銀行に貸付けて、利子を得る女性もいた。

ピエタは子どもたちが自立自活できるようにさまざまな支援を施した。音楽教育はその一環だった。決して彼女たちに演奏家や歌手としての英才教育を施したわけではなかったが、ある時から音楽家、演奏家のニーズが高まっていく。

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