COLUMN ビジネスシンカー

  • SHARE
  • LINE
2021.09

混迷を深めるVUCAの時代だからこそ。 知っておきたい
「大人の義賊史」

ベチャールの王様と呼ばれたシャーンドル

数多くのベチャールを輩出してきたハンガリーで「ベチャールの王様」と言われるのが、ロージャ・シャーンドルだ。シャーンドルは1830年代から50年代にハンガリーの大平原の中央部にある自由都市セゲト市周辺で活躍していた。

1818年に生まれたシャーンドルは、1836年に馬泥棒のかどで逮捕され、裁判の末投獄されたが、翌年脱走し、ベチャールの仲間となり全国手配となった。しかし1848年にオーストリアに革命が起こると政治的自治を求めたハンガリーの独立運動指導者、コシュートが武装蜂起する。シャーンドルはコシュートから恩赦を取り付け、仲間を連れて参戦、ゲリラ部隊を率いてハプスブルク帝国軍と戦った。

だがハンガリーが独立闘争に失敗すると、その後は再びベチャールに戻って大集団を率いて大活躍したのだった。国中にお尋ね者の触書が貼られ、ハンガリーの当局も警官や憲兵などを動員、さらには軍隊をも動かして彼を追いかけるが、捕まらなかった。

しかし1857年についにお縄となる。59年に裁判を受けて死刑宣告を受けたが、革命に際しての彼の活躍から恩赦を与えられ、死刑が終身刑に減刑される。

シャーンドルはオーストリアの城に投獄され、次にプラハ北方のテレジーンに移され、さらに66年にハンガリー内の監獄に移されるなど転々とする。

しかし、68年にオーストリア皇帝でハンガリー国王でもあるフランツ=ヨーゼフの妻が第3子を出産したのを機に恩赦が実施され、シャーンドルはまたも釈放される。

釈放後は英雄的な扱いを受けて、当時のハンガリー王国首相にも面会し、彼の活動拠点となったセゲト市でも市長以下の歓迎を受けている。

誰もがシャーンドルは誠実な市民の仲間入りをしたと思ったが、彼は若い仲間に誘われて、再び町の商人の館を襲ってしまう。さらに列車強盗を企むが未遂に終わる。計画が事前に漏れ、69年にまた捕まってしまうのだった。

シャーンドルは改めて終身刑の刑を宣告され、現在のルーマニアにある監獄に収容され、約10年後の78年に死亡した。

  • LINE