COLUMN ビジネスシンカー

2019.01

AI、VR … 先端テクノロジ全盛時代だからこそ 人を伸ばす丁稚奉公・徒弟制度が活きる!

徒弟制度は学ぶ意欲を引き出す

 前出の野村さんは「教えない教育」の代表である徒弟制度のメリットとして、学ぶ意欲を引き出すことを挙げている。

 徒弟制度では、たとえば邦楽や舞踊などの芸事では、3年程度は実際に稽古はつけず、その現場で師匠や先輩の世話をし続ける。兄弟子とその空間を共有し、兄弟子がどのような状況においてどのような所作、立ち居振る舞いをするのかを具(つぶさ)に見ることができる。

 現場の空気を読みながら、その仕事や職場が何を目指しているのかを感じ取り、自分が学ぶべきものは何かを捉えるまで、見出すまで、師匠は待つのだ。

 また仮に学ぼうという意欲があっても、その目的が師匠が求める世界観と共有できなければ、きちんと伝わるかは疑問だ。

 小関さんは、「一人前の職人とは自分を超える職人を育てることができて、はじめてなれる」と語っている。盗んで覚えろ、見て覚えろというのは、それだけ細やかな部分に目を配って観ることができなければ、いい職人になれない、つまりセンスがないということの表れなのだ。

 徒弟制度では、そういった感覚の芽を培うために現場の雑用や掃除をする。

 小関さん自身、会社に入ってからしばらくは毎朝機械の油差しをやっていたことがあり、これで仕事や機械の全体観がつかめるようになったと言う。「機械によって、あるいは機械の部分によって、毎朝注す必要のあるところ、3日に1度でいいところもあったし、注す油の種類も違う。うっかり油を注し忘れて、機械が軋むような音でも立てようものなら、たちまち厭みのひとことであった。しかしそれを毎朝繰り返すうちに、その油がどう伝ってどんな部分で役立つのかがわかり、それにつれて機械の構造が見えてくるという勉強にもなる」(『職人学』)。

 江戸後期の刀匠、水心子正秀(すいしんしまさひで)の著書「刀工秘伝誌」では、刀工の秘伝を弟子に安易に伝えない理由について、「いやしく惜しんで伝えないのではない。むやみに伝えても弟子の技量がそこまで達していない時に教えたら、かえって修業の妨げになるものだ」ときっぱり語っている。

 意欲があっても弟子に十分な技量がないまま教えてしまうと、その技術が歪められたまま伝わってしまうことになることを水心子は怖れたのである。

 「盗んで覚えろ」という言葉が職人のイメージをつくっているとすれば、それはあくまで職人の一面しか見ていないことになる。

 逆を言えば、日本の義務教育の教師の凄さは、そういった学ぶ気のない生徒に学ぶ気を起こさせ、知識や技能を身につけさせているところにあると言える。徒弟制度が当たり前だった時代からすれば、1クラスに集められた個性や意欲のバラバラな生徒に、まったく同じレベルの知識や技能、マナーの習得を求めること自体に無理があるようにも思える。

 日本の人財育成制度は、学校教育では教えるということを重んじる一方、徒弟制度による現場の学びがなくなったため、知識と現場技術・知恵が交わらず、シナジーとしての優れた職人、仕事人が生み出しにくくなったことが問題なのかもしれない。その点からもドイツのような徒弟制度と学術教育がセットになるデュアルシステムは合理的であると言える。

 いま徒弟制度が日本で関心を高めているのは、職人魂という曖昧なものではなく、職人、あるいは職業人として本来持つべき「学ぶ姿勢や欲求」の不足を経営者や教育関係者が感じているからなのかもしれない。