COLUMN ビジネスシンカー

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2019.03

経営者必読! どん底から再生する経営 生死の淵で守るべきもの。捨てるべきもの

全国600店舗のラーメンチェーン店が倒産した理由とは

 全国で600余店を展開した「くるまやラーメン」。東京足立区で大型トラックの運転をしていた草野光男さんが、屋台の立ち食い蕎麦をはじめたのがきっかけだった。当時はモーターリゼーションのうねりが日本じゅうを席巻し始めた頃。草野さんの蕎麦屋はたちまち繁盛し、これに自信を深めた草野さんは、店を知人に譲り、中華料理の修行に入る。センスのいい草野さんは半月でメニューをマスター。日光街道沿いに車のバンを改造しラーメン店を開く。さらに繁盛するとバスを改造して、店をつくった。これがのちのくるまやラーメンのルーツだ。車から起こしたということで命名した。

 1972年にフランチャイズ1号店を開くと、わずか数年で100店舗まで増える。その後も順調に店舗数を増やし最盛期には直営店273店、フランチャイズ店390店まで拡大する。

 しかし1997年、メインバンクである当時の長銀から、なぜか設備機材の償却期間をそれまでの5年から1年に変更することを求められたのだ。厨房機器などの機材の償却期間が一気に5分の1になるわけなので、債務超過に陥ることになる。これを理由にくるまやラーメンの運営会社「栄商事」の社長就任を要求されたのが光夫さんの長男、草野直樹さんだった。

 直樹さんは、高校時代からくるまやラーメンの取締役で、大学卒業後は修行のために居酒屋やレストランを展開している飲食会社に就職した。しかし25歳の時にその会社がラーメン事業を始めたため、退社してくるまやラーメンに就職。メインバンクから社長要請を受けることになったのは翌年のことだった。そして就任2ヶ月後で会社更生法の申請を余儀なくされたのだった。

 長銀はその後破綻したが、直樹さんは会社に乗り込んできた時からおかしかったと振り返る。社長就任の際に長銀の担当者は「決算書作成に必要だから」と会社の実印や株券を持っていこうとしたという。直樹さんが「それは銀行法に触れるのでは?」と問うと「訴えてください」と開き直って持っていったという。

 会社更生法を申請する前には、長銀の担当者から「申請したら社長でいられなくなるので、食材加工の子会社に転籍して、ぜひノウハウを提供してください。そうなれば、生活はこれまでと変化はないでしょう」と言われ、白紙委任状にサインをさせられた。

 

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