COLUMN ビジネスシンカー

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2021.09

混迷を深めるVUCAの時代だからこそ。 知っておきたい
「大人の義賊史」

義賊はなぜ消えていったのか

1851年に30人ほどのベチャールが農業監察官バランティ・ヨージェフの館を襲い、虐殺し、金品を奪って逃走したのだ。

これはタバコの専売制度が導入されてタバコ農家の採算が合わなくなり、土地所有の侯爵が栽培を廃止させたことが理由だった。これを農業監察官のヨージェフが農民に伝え、すぐに立ち退くように迫ったが、農民が反抗。するとヨージェフは軍隊の力で強制排除する。

これを聞いたベチャールたちが農民の声を代弁し「正義の鉄槌」を落としたのだ。しかし、オーストリア政府は翌年治安対策を強化する。

届け出なしの家やタニャに他人を宿泊させることを禁止し、ボートを登録制にして河川の往来を監視するようにした。また市外の農村地帯に警察の詰め所を置き監視を強化。さらに国内を移動する者に対してパスポートの携行を義務付けたのだ。

さらに農奴解放令が出されると、貧しい小作農が減り、土地所有農民の数が増えて農家が自立しやすい環境が整っていく。そのためベチャールとの共存関係は次第に薄れていき、ベチャールの活動も減っていった。

やがて体制に対して共感を抱く農民や市民も増えていき、逆にベチャールに対して抵抗するようになる。せっかく得た治安を乱すベチャールが邪魔になったのである。こうして役割を終えたベチャールだったが、ハンガリー人の間にはいまなお小説や詩、戯曲などとなってその存在が伝えられている。

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