COLUMN ビジネスシンカー

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2021.09

混迷を深めるVUCAの時代だからこそ。 知っておきたい
「大人の義賊史」

シチリア独立運動の軍師として活躍した義賊、
サルバトーレ・ジュリアーノ

まず地中海沿岸のイタリア。ここではナポリ出身のアンジェロ・ドゥカ(1760〜84年)が有名だ。彼は自ら貴族の番人との争いを引き受け、村で法廷を開いて、訴訟当事者たちを審理して判決を下していたと言われる。そして穀物価格の引き下げを命じ、金持ちが押さえていた穀倉を没収して貧乏人に分配したというから、日本で言えばさながら鬼平犯科帳の主人公長谷川鬼平のような存在だ。

ほかにはカルミネ・クロッコ(1830〜1905年)が有名だ。イタリア南部の牛飼いの子で、軍隊から脱走して義賊となり、地主から馬や金品を奪ったとして1854年に逮捕されるが脱獄。やがて南部イタリア最大の義賊団を形成するに至る。60年には仲間を率いてイタリア統一戦争を行っていたガリバルディ軍に参加する。しかしながら、その功績で恩赦が認められると期待していたものの、そうならなかったため、逆に反統一派に加担して戦うようになる。そしてイタリア統一後、メルフィルの町を襲撃占領し、略奪を行うが、イタリア国軍に攻撃され、ローマ教皇庁に出頭、41年間刑務所で過ごして死亡している。

このほかシチリア出身のサルバトーレ・ジュリアーノ(1922〜50)はイタリアを代表する義賊として知られている。義賊になったのは、数袋の小麦粉をごまかして奪ったとき、捕まりそうになり、警官を撃って殺してしまったことから。同じことをした仲間は賄賂で逃げることができたが、彼はそのお金がなかったのだ。その後農場襲撃などを繰り返すものの、やがてシチリア独立主義運動の指導者となる。もともとは農家に親近感を持ち共産党的な志向ももっていたジュリアーノだが、一方でマフィアともつながりを持ち、その利害を擁護する。お尋ね者だったジュリアーノは政治的に利用された。恩赦と引き換えに1947年、パレルモの農民たちに発砲する政治スキャンダルを引き起こし、10数名の死者を出す。本人は農民に銃を向けていなかったとされるが、パニックに陥った部下が集会に集まった農民に発砲したのだ。ジュリアーノは農民の信用を失う一方でマフィアと関係を強め、最期はマフィアからも裏切られて殺された。

ちなみにジュリアーノのシチリア独立の主張は、シチリアをアメリカの49番目の州にすることだった。いま思えばかなりの構想力があったとも言えよう。

イタリアは小国が集まってできた経緯もあり、様々な政治主義者ととくに南部ではマフィアの存在が複雑に関わり、義賊たちはそのパワーバランスのなかで地域や社会の支持をえながら生きながらえていたのだった。

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