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なぜ、ビジネスエリートに東洋哲学は必要なのか

 上がらない賃金について官民でさまざまな取り組みがなされている。その1つが「リスキリング」だ。英語ではre-skillingと記し、社会人の技能・知識の再教育を意味する。リスキリングに限らず、社会人の再教育、新技能の獲得は大きな社会テーマとなっているが、こうしたなかこの数年注目を集めてきたのが「教養」だ。とくに美学や西洋哲学はビジネスエリートの基礎素養とされ、日本でも注目を集めている。一方で欧米の経営者や知識人には東洋哲学を学び、ビジネスで応用する人も多い。いったいなぜ欧米のビジネスエリートは東洋哲学を学ぶのだろうか。その背景を探ってみる。

フランスでは幼稚園から
哲学を学ぶ授業がある

 フランスの名門ビジネススクール「INSEAD」や「グランゼコールHEC」で修士号を修得して、世界最大の資産運用会社で日本法人の取締役を経験し、日本で海外留学を支援する塾「IGS」を立ち上げた福原正大(まさひろ)さんは、海外経験豊かなグローバルエリートと言えるだろう。
 その福原さんは、留学時代や外資系会社などで接した世界のエリートと呼ばれる企業人に共通していて、日本のビジネスパーソンにないものは、哲学的な思考だと指摘する。たとえば、ハーバードを始めとする欧米のビジネススクールでは、こんな問いかけが来る。
 Who are you ?
 「あなたは何者か?」
こう問われた時に、あなたはどう答
えるだろうか?
「◯◯会社のCEO」。「アイム・ジャパニーズ・ビジネスパーソン」…あるいは個人名を言うかもしれない。こうした哲学的な問いに、すぐに答えられる日本人は多くはないだろう。しかし、欧米のビジネスエリートと呼ばれる人たちは、こうした問いに日常的に答える思考法が身についている。
 ビジネススクールや大学だけでなく、小学校や幼稚園から哲学の授業があるからだ。
 哲学は日本でも中学校、高校時代に触れることはあるものの、倫理、世界史などの一部として触れるだけだ。本格的に哲学を学ぼうとすると、大学の教養で選択するか、専門科目
として専攻する必要がある。
 しかしたとえば、フランスの高校では哲学が必修科目となっている。それだけでなく、幼稚園でも哲学の授業があるのだ。
 「愛ってなに?」
 「自由ってどんなこと?」
 「大人はなんでもできるの?」
 といったような正解のない問題について自分たちの頭で考え、話し合いをするのだ。そういった問いを繰り返すことで、自分の頭で考える力を高めていく。

世界の人に認められるためには、
哲学的思考法が必要不可欠

 福原さんの友人はこんな体験をしたそうだ。その友人は日本人とフランス人のカップルでお子さんがいる。日本で暮らしていたが、娘さんが小学校6年生の時にフランスに移住することになり、現地の小学校に転入した。娘さんは家庭でフランス語を話していたこともあり、言葉は流暢に話せる。ある時、テストでこんな出題を出された。
「第2次世界大戦とは何か」
 彼女は歴史は得意だったので、日本で教わったとおり、的確に答えた。
「日本、ドイツ、イタリアとアメリカ、ソ連、フランスなどが戦った世界規模の戦争」。
 日本であれば、十分な回答だ。しかし結果は0点。納得のいかない母親が教師に抗議をすると、その先生はこう答えた。
「この解答には、彼女の考え方が1つも入っていない。これでは世界に対する彼女の考え方はゼロ。教科書の内容にも”ノン”という勇気を持つようにしてください」
 日本ではあり得ないような言葉である。つまり単に正しい知識を得ればいいのではなく、その知識を得た上でどのように考えるかが常に問われるのである。
 少なくとも国内外を問わず、ビジネスの場で相対する外国人はこういった教育を受けてきた人たちだ。福原さんは言う。「これからの時代、グローバルな国際社会でリーダーシップを発揮して活躍し、世界の人に認められるためには、哲学的思考法が必要不可欠です」と。
 なぜ必要とされるのか。それはビジネスというものが正解のない問いを続けるようなものだからだ。アメリカの大学から、なぜ新しいビジネスやサービスが続々と生まれてくるのか。イノベーションが生み出されるのか。その原点はこの哲学的思考法にあると言える。

理性にたよって慎重に計算しても
解答にたどりつかない

 その哲学的思考法を身に付けたビジネスエリートや大学生の間で、いまじわじわと人気を集めているのが、東洋哲学だ。
 火を点けたのは、ハーバード大学で中国哲学を教えているマイケル・ピュエット教授。
 ピュエット教授は、「西洋的な考え方では、人間は自ら決断をくだし、自分の人生をコントロールできる。理性ある生き物として、かつてないチャンスを作り出せる。幸福と繁栄のために計画をたてるとなると、理性にたよるように教えられて、慎重に計算すれば、解答に行き着けるとだれもが信じている」が、「中国の思想家はこのようなやり方に限界があると気づき、別の方法を模索した」(『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』)と言う。
 理想となるあるべき姿のために、計算して行動するのではなく、重大な局面であれ、日常のありふれた局面であれ、鍛錬を積み、その時にふさわしい反応ができるようにすることが古代中国の目指す哲学だ。

中国に哲学の地平を拓いた
孔子の「礼」

 その局面に応じた「ふさわしい反応」ができるようにするための鍛錬が「礼」だ。そう説いたのは古代中国の思想家で儒家の始祖と言われる孔子だ。孔子は古代中国における最大の思想家とされ、イエス・キリスト、釈迦、ソクラテスと並ぶ世界四大聖人の1人に数えられるカリスマ。孔子の思想をまとめた論語は、時代が下った現代でも世界中のビジネスリーダーたちに読まれ、日本でも多くの企業人の愛読書となっている。

 ただ論語自体は孔子自ら著したものではなく、後生の弟子がまとめたものであり、また孔子自身は決して思想家として大成したとは言えなかった。生前の孔子は不遇の連続だったのだ。もともと私生児として生まれたと言われ、家も極貧だった。その貧しさから母親は孔子を幼い頃から「儒」のもとで修行を積ませるようにしていた。儒とは祈祷や祭事儀礼を職業として行う集団で、孔子はここに関わることで催事に精通し、その名を知られるようになっていったのだ。
 孔子は28歳の時に魯の国の役人となった。しかし世は戦国時代で、自分の実力と運でより高い地位を勝ち取ることもできた。孔子も、より自分を重用してくれる国を求め、せっかく得た役職を捨て、各国を渡り歩いた。しかし士官の職は得られず、再び貧しい生活を続けることになった。52歳の時に千載一遇のチャンスを得て、ある国の高官に抜擢されるも失脚。そこからまた10年以上の放浪の時代を過ごし、やがて晩年になると私塾を開いて、夢を託せる後継者を育てていった。
 孔子が「礼」という概念を重視するのは、こうした幼少からの境遇にもあったようだ。祭事儀礼に通じるとなぜ名を知られるようになるかというと、当時の為政者の成り立ちに理由がある。孔子の時代の中国はまさに群雄割拠、百家争鳴の時代で、その為政者である王は天という超自然的な存在によって選ばれると考えられた。故にその存在をしっかりと知らしむためには、誰もが納得できる儀礼や手続きが必要だったのだ。また国を安定させるためには、隣国との同盟関係も欠かせず、その国際的儀礼も重要だった。どの国も納得できるような国際的祭事儀礼式で祭典を行わない限り、その同盟自体も認めてもらえない事情もあった。
 しかし孔子はこうした祭事儀礼を単に形式的なものとしては捉えていなかった。

孔子が捉えた
「祖先祭祀」とは

 古代中国では、人間を相容れない要素の集合体として捉えており、生涯を通じて、その要素——相対する感情や乱れたエネルギー、混沌とした精神を洗練することに努めていた。しかしながら、人は愛する人たちを残して世を去る時に、その悔しさと怒り、妬みが開放されて、生きている人に祟るとされていた。そしてこれらのもっとも危険なエネルギーに対抗するために定着していったのが、祖先祭祀であった。
 ただ孔子は、この祖先祭祀については死者の霊をなだめ、慰撫するためにこうした儀礼を行うものとしては捉えていなかったようだ。
 「儀礼自体はなくてはならないものだが、死者の霊が臨在するかどうかは問題ではない。重要なことは祭祀に本式に参加することだ。私は祭祀に参加しないと祀った気がしない」と。
 孔子は祭祀を執り行う側の人間の及ぼす効果を重視していた。死者のエネルギーを恐れるのは、生前のストレスや不完全な思いが、生き残った者にも残っているからで、儀礼を繰り返すことでそのストレスや不完全な思いを除去し、新しい関係や役割に入ることができると考えていた。それは生き残った者同士にも作用する。たとえ跡目争いで揉めていても、儀礼の最中は表面上をそういった感情を表に出さないよう努める。さらに孔子は祭祀は何度も続ける必要があると言う。こうした儀礼中のかりそめの平穏を繰り返すことで、やがて健全な関係を結び直し、改善した家庭内の人間関係が日々のくらしのなかでじわじわと表面化するからだ。
 人間はこうした作法を繰り返すことで人間の内面を変えていくものだと、孔子は見抜いていた。

カップルの「愛してる」は、
日常の「礼」

 それは大掛かりな祭祀儀礼ではなく、日常的ないわばルーティンでも当てはまる。朝出勤した時に交わす「おはよう」。退社の時に交わす「お疲れ様」もそうだし、何かをしてもらった時に言う「ありがとう」もそうだ。ピュエット教授によれば、恋人同士や夫婦が交わす「愛している」という言葉さえ当てはまると言う。
 「私たちは真実を重んじるが、実際は親しい者同士は、しょっちゅう罪のない嘘をついて新しい現実を築いている。口癖のようにこの台詞を交わしているカップルも、おそらく年がら年中、心からの愛を感じているわけではない。しかし、『愛してる』と口にする礼によって、現実から離脱して、どの瞬間も互いに心から愛しあっているかのようにいられる空間に行き、二人の関係を育む大義名分がある。(それゆえ)カップルが〈かのように〉愛を口にする瞬間、二人は本当に相手を愛しているのだ」(前出書)

 孔子の考え方は、とかく「人生とは」「生きるとは」「正義とは」といったビッグクエスチョンを正面に置く西洋の哲学とは違う。
 日常のなかで意識して修正を加えることで、その人のよりよい成長を促すという考え方だ。それがたとえ葬儀や結婚式、卒業式といった大掛かりな祭事でなくとも、ささいな礼を行うと変容を果たしていく。「『愛している』と口にするだけで、1日を通じてきずなを結ぶ瞬間を作り出し、長い時間とともに少しずつではあるが非常に効果的に蓄積していく」(前出書)のである。
 孔子の礼の考え方は、日本人の身の回りに数多く定着している。同じ挨拶でも目上やお客様に対しての言葉遣いや、お辞儀の角度などが違っていたり、接待の場所での上座、下座の位置関係、はたまたタクシーでの乗る位置まで決めている。日本人はこうした細かな儀礼を身に付け、それを態度に表すことで、個々人が社会人として成長を遂げてきた。厳粛な祭事のときに大声を出さない。結婚式には礼服を用いるなど、当たり前、当然とされていることは、こうした小さな礼が広がり、一般化したものだ。
 誰もがちょっとした礼を持っている。朝、起きたら必ずコーヒーを飲む。こどもたちとハグをする。それはその人個人、その家の礼であるのだ。そしてその礼の積み重ねがよりよい関係、よりよい状態を導いていく。

礼の変化を
もたらすためには、
「本当の自分」探しをやめる

 ピュエット教授は、この礼による変化をしっかりもたらすためには、あるものを手放す必要があると言う。それは”どこかにあるだろう”と思う「本当の自分」だ。  よく自己啓発セミナーなどでは、いろいろな手法でこの「本当の自分」探しをする。ピュエット教授は、「西洋人が真の自分と定義しているものは、実際には人や人間に対する連続した反応のパターンに過ぎず、ときとともに蓄積されたものだ」「『真の自分』に忠実でいることが、有害な感情の習癖を固定化する結果になってしまう」と述べている。
 だから、自分探しはしてはいけない、と。孔子は、誰もがより良い人間へ成長できると考えており、そのためには「自分の行動パターンを知り、積極的にその修正に取り込むことが大切だ」と言う。

「人に親切にするすべを
感じ取ること」が「仁」

 孔子は、人間は細やかな礼を繰り返すことで、回りの人に親切にするすべを感じ取る能力が身についていくものだと考えている。孔子はこの「人に親切にするすべを感じ取ること」こそが、極めて重要だと考えていた。それが孔子の哲学のもう一つの柱、「仁」だ。
 仁は難しい概念だが、ピュエット教授は「他者に対して、ふさわしい反応ができる感性」とも表現している。「細やかな感覚=仁=を磨くことで、まわりの人のためになるように行動し、その人たちの良い面も引き出せる」(同書)
 人は、思いのほか他人の影響を受けているし、影響を与えている。もし行きずりの人が自分にしかめっ面をしたら、その日1日が不愉快な気持ちになるだろう。その不愉快さは、自分だけでなく、ほかの人にも影響を与える可能性がある。「今日誰々さんはなんだか不機嫌だね」と。
 「仁」は回りに伝播する。だから孔子はこう言う。
 「私心に打ち勝って礼の規範に立ち返るのが仁ということだ」

「仁」と「礼」は
糾(あざな)える縄

 仁と礼は糾える縄だ。礼は仁、すなわち「人に親切したいと思う気持ち」がその場面場面で「適切な態度として表す礼儀作法」なのだ。仁と礼は表裏一体で、かつ概念が捉えにくい。とくに仁はなかなか捉えにくく、孔子の弟子たちも仁については何度も尋ねている。仁を実践して何を得られるのか、と。死して何か報われるのか、と。
 孔子は答える。
「まだ生のことさえわからないのに、どうして死がわかるだろう」
 あの世を信じるか信じないかという話ではない。そうではなく回りの人の一番良いところを引き出すために、今できることに集中すべきだと言っているのだ。
 孔子の考え方は個人の幸福の追求というような西洋の個人主義とは相容れない。しかし人間は本来誰もが成長できる存在であり、それは意識して修練を積み重ねることで、成長、変容を実現し、そういった人たちが多く存在していくことで、真に素晴らしい世界を築き上げることができることを信じていた。
 逆に孔子は、仁から生まれていない儀礼を否定している。どこかの権威のために強制的にされる儀礼は、孔子の考える礼ではないからだ。

中国哲学の〈道〉は
調和のとれた理想ではない

 孔子が立ち上げた仁と礼を原点とした哲学は、その後の中国哲学に俗に「諸子百家」と呼ばれる流派と思想家を生み出す大きなきっかけとなった。
 孔子の流れを汲む思想家を「儒家」と呼び、孟子や荀子が出ている。また老子を祖とする流れは「道家」と呼ばれ、莊子らが出ている。ほかには墨子を祖とする「墨家」、韓非子の「法家」などがある。
 いずれも孔子の考えを深めたり、一部否定などから入っているが、やはり個人の幸福の追求や「何のために生きるか」といった個人主義、あるいは大きなテーマに向き合う西洋哲学とは一線を画している。
 もう少し、代表的な考えを見ていこう。
 日本人に馴染みが深く、また理解しやすい思想家に老子がいる。老子は道家の創始者で、道家はその名の通り「道」という考え方を軸にしている。
 欧米人が日本の経営をよく「組織マネジメント」ではなく、「経営道」だというように、日本人はあらゆることに何か一つの理想を求め、鍛錬し、極める「◯◯道」にしたがる傾向がある。
 ピュエット教授は、実はこの「道」という考え方が中国哲学の大きな軸となっていると見ている。
 「この本の題名〈The Path〉は、しばしば中国の思想家が、〈道〉と呼んだ概念からきている。道は調和の取れた『理想』ではない。そうではなく、自分の選択や行動や人間関係によって絶え間なく形作っていく行路だ。わたしたちは人生の一瞬一瞬で新たに道を生み出している」(前出書)

老子が打ち出した〈道〉とは

 その多くの思想家が道、あるいは道的なものと捉えたものを真っ向から説いて追求したのが老子である。

 人の上に立つ者は、多くの影響力を持たなければならないと考えるのが、昨今のビジネスパーソンやマネジメントの考え方だ。
 太く高い幹を持ち、あらゆる方向に伸びた枝葉が一帯を覆い尽くすような巨木のように、強くたくましい存在でありたい、あるべきだと考える。もっともらしい自己主張をし、こちらの意志に屈服させなければならない、と。しかしそのような影響力の及ぼし方とは別の方法を考えるのが中国の思想家だ。
 巨木は存在感を示し、周囲の環境に影響を与えるが、ときにあっさり折れることもある。豪雪や台風、地震などで突然倒れたりする。しかしそういった災害が起きても、そのそばにある若木が平然と残ることが多いものだ。

 中国哲学でしばしば出てくる〈道〉という考えは、この若木のような生き残り方法だ。
 多くの人のイメージは、道は「かなた」にある理想と理解されているだろう。中国の山水画に描かれる世界のように、人は自然の雄大さのなかで調和を保ち、あるがままの流れに身を委ねて、歩む。そんなイメージかもしれない。
 しかし、ピュエット教授によれば、これは19世紀に近代を宣言した西洋の思想家が、意図的に引き立て役としてつくりあげた中国哲学の道のイメージだったと言う。

〈道〉は混沌としたすべてを内包し、
天地が生まれる前から存在していた

 老子の考えは、そうではない。道は能動的に生じさせるものだと考えていたのだ。誰もが自分の生きる世界を変容させる影響力を秘めており、道は作り変えることができるものだとした。
 老子にとって道とは、言葉に言い表せない、分化していない原始の状態で、あらゆるものに先立つものだった。老子は道をこう表現している。
「混沌としてすべてを内包するものであり、天地が生まれる前から存在していた」
 宇宙のあらゆるものがそこから生じ、そこに帰っていく。また道は1つではなく、複数のレベルで存在する。たとえば地表に生えている葉を考えると、最初は小さな芽でも、育つにつれてさまざまな個体に変化していく。大きな巨木になるものや、低くしなやかな幹を持つものなどさまざまだ。しかし、いずれその生命も終焉する。死ぬとまた大地に、すなわち道に帰っていくのだ。
 「万物は盛んに生長している。わたしには、そのすべてがまたもとに帰っていくのが、見て取れる。ものはしきりに生成し、繁茂するが、それぞれ生まれた根本に帰っていく」(前出書)

ものごと、感じるものを
分けてはいけない

 老子の考え方を知るには、ものごとを分けるという考え方から離れる必要もある。
 「私たちのほとんどは、極端に異なる領域—仕事と余暇、職業上と個人的、神秘的と現実的、平日と週末に暮らしているため、人生が分割されていると考えてしまうが、それも無理はない。しかし、人生を分割し、人生のいくつもの局面がそれぞれに無関係だと考えることで、わたしたちは自分にできることやなれるものをみすみす限定している」とピュエット教授は述べる。

 さらに願望や目標を定めることも時に〈道〉を見誤ることになると言う。
 「願望や目標は、ときに自分がまわりの人と競っているのだと自覚させ、自分をまわりの人から切り離してしまう。またわたしたちは道徳上の強い信念をいだくことがある。既成宗教や標準化された試験、妊娠中絶や尊厳死について、自分の意見が正しいと確信していると、ほかの意見が受け入れがたくなり、自分と他者との間に乗り越えられない壁を築きかねない」(前出書)
 たとえば、職場に扱いにくい上司がいる。または要求の多いクライアントがいるとしよう。要求が多く、理不尽で気まぐれだ。そのくせ必要とするフィードバックや情報はよこさないとすると、どうだろう。
 こういった場合は対局を静かに観察する必要がある。理不尽で侮辱的な態度を示す人は、往々にして自信のなさから来ていることが多いからだ。そしてそのような時は、もしかしたら自分の無意識な行動がこの力関係に油を注いでいる可能性がないか考える必要があるかもしれない。
 この時、役に立つのが「礼」だ。たとえば、相手に敬意を表し、経験の多い上司やクライアント(仮に若くても)に、謙虚に学ぼうとする姿勢で、折りに触れ助言を求める機会をつくっていくのもいいだろう。そこに新しい交流の場が生まれることでその関係が徐々に変化していく可能性がある。
 老子はあらゆるものが道から生じると言っている。「自分の周りに何らかの結果が生じることに手を貸すことで、あなたは単に道に従っているだけではなくなる。室内全体の風向きを修正し、人生における人間関係を調整し直すことで、あなたは文字通り〈道〉になる」(前出書)

自分のあらゆる行為が
ただちにほかの人に
作用を及ぼしている

 ピュエット教授はこう指摘する。
 「世界はバラバラのことがらの集まりだという捉え方に固執すると、自らの道を遠ざけてしまう。あらゆるものがどのように相互に関係しているかを感じ取り、自分のあらゆる行為がただちにほかの人に作用を及ぼしていることに気づけば、もっと影響力を発揮できるようになる。逆説的に聞こえるかもしれないが、強さより弱さがあると知れば、影響力の仕組みがわかる」(前出書)と。
 「真の力は、強さや支配力を当てにしない。強さや支配力は、私たちを周りの人やものごととうまく折り合えない人間にする。世界が公然たる勢力のバランスで成り立っていると受け入れたとたん、私たちは〈道〉を失う」のだと。

無為を実践する人が
影響力を持つ

 では、どんな人が影響力を持つ人なのだろうか。それは「無為を実践する人」だ。
 無為の人とは、動作や行為をしていないように見えながらも、実際は強力な人を言う。
 強力なオーラを放つ、プレゼンスの高い人でもない。空気のように存在しながら、さりげなくアドバイスをしたり、共感的な言葉をかけたり、微笑みを返したり、頷きや時に眉間にシワをよせてみたりしながら、空気を少しずつ変えていく人のことだ。
 老子の考えをまとめた『老子』は、論語と並ぶ名著でかつ、観念的で分かりにくいと言われながら、これもまた世界中のリーダーたちに愛読されている。なぜ時代を経てもなお、読み継がれているのだろうか。ピュエット教授は、その理由をこう語る。
 「堅さではなく柔らかさを通じて、つまり支配ではなくつながりを通じて、はるかに強大な影響力を発揮する人間になる方法を教えてくれるからだ」(前出書)
 そして、こう言い切る。

強さは必ず弱さで
打ち破ることができる!

 「強さは必ず弱さで打ち破ることができるというのが『老子』の主張だ。強い立場にあっては弱さを振るい、弱い立場にあっても弱さを振るう。最初の立ち位置に関係なく弱さを振るう。これが状況を好転させる方法だ」(前出書)と。
 『老子』には次のような言葉がある。
「道はいつもなにごともなさず、それでいて、なされないことは1つもない。もし諸侯や王が、このような道のあり方を守っていけるなら、万民は自然と感化されるだろう」
 「わかる」という言葉は「分かる」「判る」「解る」と、いずれもバラバラに分解する漢字が当てはめられている。ものごとは分解することで理解が深まるのは古来より確かなようだ。しかし、どんどん分けていっていく還元主義的な世界に入り込んでいくと、世界が分断されてしまう問題を老子は見抜いていた。
 西洋的個人主義をベースに成り立っている現代人は、ややもすると「誰かと自分」「他社と自社」「昔と今」というように何かを分けることで、目的・目標を絞り込んで、すなわち他の世界を遮断することであるべきものを手に入れようとしてきた。
 しかし日々情報量が増え、その情報に踊らされがちな現代だからこそ、逆にあらゆるもののつながりを、「仁」の意識をもって感じ取っていくことが求められているのかもしれない。

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