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知って体験すればあなたが変わる!コロナ禍後、なにかと話題の「リトリート」って何?

■コロナ禍で人の接触が減って「リトリート」ニーズが高まった

 「リトリート」という言葉をご存じだろうか。最近はテレビやWebメディア、雑誌、とりわけ女性誌などでも取り上げられたり、旅行代理店の店頭やサイトでは海外の「リトリートツアー」なども商品化されているので、ヨガや瞑想、あるいは高級リゾートでの休暇といったイメージを持つ人が多いかもしれない。
 リトリートとは英語のretreat、すなわち「退く」「隠れる」が語源。もともとはキリスト教では修道士が俗世を離れて祈りと沈黙を行う「静修会」を指していた。それが20世紀後半、ヨガや禅といった東洋思想と結びつき、「日常を離れて心身をリセットし、自己と向き合う時間」を意味するようになった。
 リトリートが日本で急速に注目されたのは、コロナ禍が大きな契機だった。人と直接会えない日々が続き、在宅勤務が定着した結果、私たちは「孤独感」「オンとオフの境界喪失」という新たなストレスに直面した。海外旅行も制限されるなかで、「近場で非日常を体験し、心を休めたい」という需要が高まり、リトリートという言葉がライフスタイル誌やテレビで取り上げられるようになったのだ。
 それまではヨガや美容に関心のある層が中心だったが、コロナ禍を境に「誰にとっても必要なメンタルケア」としての認知が広がったのである。

■コロナ明けで「リトリート研修」が人気に

 コロナ禍から明けた今、最もリトリートが注目されている業界に企業研修がある。チームマネジメントコンサルティングを行うTeamDynamicsの調査報告書によれば、企業研修市場は2024年で約5,858億円という巨大な規模になっている。その中でも特に成長著しいのがリトリート研修なのである。
 リトリート研修とは具体的には、普段の職場から離れた環境(山や海、温泉地など)で行う研修プログラムのことを指す。なかでも個人の内省とチームビルディングを巧妙に組み合わせた、戦略的な人材育成手法が話題となっている。

■リトリートの威力を見せつけたGoogleの「SIY」プログラム

 海外では、リトリート研修がすでに一般的になっている。特に注目すべきは、あの「グーグル(Google)」の取り組みである。
 同社は2007年に「Search Inside Yourself(SIY)」というプログラムを開発した。当初の狙いは「ストレス軽減」と「感情知性の育成」。エンジニアが多く在籍する職場で、人間関係やリーダーシップの課題を解決する意図があった。
 2日間の集中ワークショップと28日間の習慣化プログラムから成り、現在では世界20カ国以上、14,000人超が参加。調査では、参加者のストレス管理能力、自己認識、共感性が向上し、93%が「他者に勧めたい」と回答している。
 興味深いのは、当初の狙い以上の成果が現れた点だ。創造性やチームの心理的安全性が高まり、離職率の低下やエンゲージメントの向上といった副次効果も報告されている。成果主義の現場にあえて「成果を求めない時間」を導入したことで、むしろ組織の成果が伸びたのである。
 また「セールスフォース(Salesforce)」の「Ohana文化(家族文化)」も興味深い事例だ。同社では定期的に社員を美しいリゾート地に招き、仕事の枠を超えた人間関係の構築を図っている。その結果、イノベーションの創出や離職率の改善に大きな成果を上げているのである。

■日本ではIT系企業が続々とリトリート研修を導入

 こうした効果が認められたこともあってか、日本でもここ数年でリトリート研修を導入する企業が急速に増えている。とくに先進的なのはIT・サービス業界である。「サイバーエージェント」や「メルカリ」「ラクスル」といった企業が積極的にリトリート研修を取り入れている。これらの企業の共通点は、変化の激しい業界で働く社員のメンタルヘルスケアと創造性の向上を重視していることだ。
 こうした企業のリトリート研修だけではなく、リトリート的な発想を宿泊業や地域開発に応用する動きがある。

■温泉街を丸ごとリトリート空間にする星野リゾート

 その代表が「星野リゾート」だ。同社は単なる宿泊施設ではなく、「体験全体をデザインする」ことを理念に掲げ、滞在そのものをリトリート化してきた。
 同社が展開する「リゾナーレ那須」では「ビューティーリトリート滞在」というプランを提供している。農業体験や森の散歩、ナイトヨガなどを組み合わせ、美容ブランドと連携して「滞在そのものが心身を整える体験」を提供。単なる宿泊ではなく、自然・身体・食を総合的にデザインしたリトリート型商品として注目された。
 山口県の長門湯本温泉では、温泉街全体をリトリート空間に変える再生プロジェクトを手掛けた。川辺のテラス整備や外湯再建、新規店舗誘致などで「そぞろ歩き」が楽しめる環境をつくった。この成果は顕著で、温泉街全体の RevPAR(レヴパー=1室あたり収益)は2019年比で約20%上昇。観光ランキングも86位から29位へ躍進し、新規事業者15店以上が参入した。当初の狙いは「宿泊施設の稼働改善」だったが、実際には「滞在時間の延長」「地域全体での体験価値向上」という成果につながっている。星野リゾートの試みは、「宿泊」や「観光」に、「人が素の自分を取り戻す場を地域全体で提供する」という新たな価値を生み出した。

■扁桃体が縮小。DMNが活性化―脳科学が裏付けるリトリートの効用

 リトリートがここに来て注目されているのは、Googleなどの先行事例の効果やコロナ禍におけるビジネス環境の変化のみならず、近年の脳科学によってリトリートの効用が次第に明らかになってきていることも挙げられる。
 たとえばデフォルトモードネットワーク(DMN)の活性化だ。DMNはぼんやりしているときに活発になる脳の回路で、自己省察・未来予測・創造的発想に関わる。リトリートを体験することでDMNが活性化し、新しい気づきが得られることがわかっている。また普段ビジネスでフル活動している数字や論理を扱う前頭前野だが、リトリートによって休ませることで、判断力や集中力が回復する。
 アメリカ・ハーバード大学の研究では、マインドフルネス瞑想を8週間続けたグループではストレスホルモンが減少し、感情制御や共感力が向上した。これは脳における「警報装置」を司る扁桃体が小さくなったことが理由とされている。8週間のプログラムでは5~20%小さくなることが判明している。
 森林浴の実験では、副交感神経の働きが強まり、血圧が下がり集中力が増すことが確認されている。新しい記憶を司る「海馬」も、リトリート研修によって大きくなることがわかっており、記憶力や新しいスキルの習得が早まる効果が期待できる。
 驚いたことにリトリートを体験すると、慢性的な腰痛や肩こり、頭痛など痛みもその発現頻度や痛み度合いが減っていくこともわかっている。
 つまりリトリートは、単なる贅沢や癒しではなく、科学的にも人間の能力回復に直結する実践なのである。

■匿名性が前提の欧米と会社単位でチームビルディングに挑む日本

 盛り上がりを見せるリトリート関連市場だが、こと日本に限ると意味合いが違ってくるようだ。とくにビジネスの現場に登場すると、どうしても「成果志向」の色合いが強くなる。リトリート研修の場合は顕著で、研修の目的を海外企業が個人の内省に重点を置くのに対し、日本企業では「組織の結束」を重視するからだ。せっかく自然豊かなホテルに泊まりながら、朝から晩まで戦略立案ワークやチームビルディングを詰め込んでしまうメニューがほとんどとなっている。これでは結局、会議室が森の中に移動しただけであり、本来のリトリートの価値である「自己回復」や「役職を外した素の自分との対話」は置き去りにされてしまう。
 海外のリトリート研修においては、参加者が「肩書や身分を明かさずに、素の人間として語り合う」ことが前提となっている。CEOも新入社員も、リトリートの場では対等な一人の人間として扱われる。肩書や役職から離れ、人としての自分に立ち返る。そのような「自己回復と内省」のための仕組みが、欧米のリトリート文化の核にある。そのため、欧米では個人参加型のリトリート研修やイベントが中心となっている。
 どんな業界で働いているか、あるいは会社における肩書、普段生活している地域コミュニティでの位置づけなどすらリセットした環境に身を置くからこそ、率直な対話が生まれ、そこから深い内省とともに組織の枠を超えた関係性やイノベーションが生まれていくのだ。

■管理職こそ、投資として「素」のリトリートに参加を

 リトリートの理解は、とくに管理職に求められてくるだろう。数字責任や人材育成に追われ、自分の内面と向き合う時間がない。結果として、判断が短期的になり、創造性も枯渇し、メンタル不調にも陥りやすい。「成果を出し続ける」ことに縛られているがゆえに、成果を出す力そのものが失われかねないからだ。
 これからの管理職に求められるのは、短期の数字管理よりも「人間的幅」と「多様性をつなぐ力」だ。そのためには、役職を外して素の自分に立ち返る時間が欠かせない。リトリートは「休む贅沢」ではなく、未来の競争力を育てる投資なのである。
 コロナ禍を契機に広まったリトリートは、単なる流行ではない。海外の事例が示すように「成果を求めない時間」が実は最大の成果を生む。上述したようにリトリートには、日本の禅や自然文化の流れが取り込まれている。必ずしも欧米型リトリートイベントに参加しなくても、禅寺での瞑想や坐禅でも十分な「リトリート効果」は期待できる。
 いくつか紹介しておこう。

1)山中湖「シャングリラ研究道場」の瞑想リトリート
 特徴は、①4日間、参加者一切の私語を禁止される。②法話と質問時と読経儀式以外は完全に沈黙を保つ。③この沈黙で、相手の社会的背景が見えなくなる。
2)京都・妙安寺の坐禅会
 特徴は、①毎月の7・8日の定期坐禅会(6:00〜7:30)。②予約不要(参加費あり)③志のある人であれば誰でも参加可能。
3)鎌倉・建長寺の坐禅会
 特徴は、①観光客も予約不要で参加可能。②誰もが求道者、修行者として平等に扱われる。
 ほかに京都・大仙院、京都・長慶院などでも坐禅会が行われている。

 いかがだろうか。管理職をはじめとするビジネスパーソンが人間性を回復し、創造性を育てる場として、こうしたリトリート研修やイベントに参加してみるといいだろう。きっと思わぬ効果が期待できる。

参考
【文献】●「TeamDynamics」調査報告書(2024年) ● Forbes「Corporate Retreats: Building Stronger Teams Away from the Office」 ● KeySession 研修効果調査(2023年) ●矢野経済研究所「企業向け研修サービス市場に関する調査」(2024年)
【WEB】● Google「Search Inside Yourself」プログラム ● Salesforce「Ohana 文化」 ●日本能率協会「人材育成の現状と課題調査」 ●厚生労働省「企業における福利厚生制度に関する調査」● Harvard Business Review「The Science of Corporate Retreats」 ●産業能率大学「企業の人材育成実態調査」(2024年)●シャングリラ研究道場「瞑想リトリート参加者体験記」●建長寺 ●妙心寺 ほか

ビジネスシンカーとは:日常生活の中で、ふと入ってきて耳や頭から離れなくなった言葉や現象、ずっと抱いてきた疑問などについて、50種以上のメディアに関わってきたライターが、多角的視点で解き明かすビジネスコラム

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