COLUMN ビジネスシンカー

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2018.06

1000年を見据える「千年持続学」から学ぶ 21世紀型資本主義・経営

共有型資本主義、 シェアリングエコノミーの台頭

 21世紀に入ってから、世界経済の基調が変わりつつある。国家間、あるいは宗教間の摩擦や軋轢が熱を帯びる一方で、資本主義の終焉を唱える声も大きくなってきている。とりわけ日本は世界のどの国家も体験したことのない人口自然減少社会となり、すべてが未体験ゾーンに入る。これまでにない資本主義のあり方が問われている。

 たとえば、急速広がりをみせるのがシェアリングエコノミーという考え方だ。新たなものを購入してその効用を期待するのではなく、自動車や家などすでにあるもの、誰かが所有しているものを複数の人間が利用し合うことで、その効用を享受するという考え方だ。「エアビー・アンド・ビー」や「ウーバー」、「メルカリ」など、さまざまなビジネスが動いている。

 こうしたビジネス、すなわちシェアリングエコノミーのきっかけとなった事象の1つがリーマンショックだと言われる。

 一国で起こった金融商品の焦げ付きが、世界の金融市場を収縮させ、あらゆる企業、あらゆる国家の運営を根幹から揺るがした。実態以上の収入や値上がり価格を不動産につけ、じゃぶじゃぶと貸し付けた結果、貸し付けられた庶民の返済が焦げ付き、多くの人が家を手放し、自己破産を招いた。

 この、「資本主義下の合理的な人間は"常に上のライフスタイルを目指"し、より良いものを所有する」という原則に大きな疑問符がついたのがリーマンショックであり、その後のシェアリングエコノミー発展のきっかけとなったと言われる。

 いま世界経済が問われているのは、新たな成長産業を創出することや保護主義経済にどう立ち向かうかという経済政策にとどまらない。どういう経済、どういう社会理念を構築するかが問われている。もっといえば20世紀型の資本主義経済からいかに脱出するかが問われる。

 常に高い成長を求める国家GDP主義や、高リターンを求める投資家集団の台頭。貯蓄から投資へのマネーゲームに取り込まれ、翻弄される一般消費者。実態経済をはるかに超えて膨張し続けるマネー。その水膨れしたマネーによって引き起こされる資源獲得競争。速度を上げて進む温暖化。それらに伴って引き起こされる紛争や弾圧、テロ、貧困、失われる命の数々。
すでに20世紀後半から、現在の資本主義経済の在り方を問う声は出ていた。古くは1972年に出された「ローマクラブ」の報告書「成長の限界」である。人口増加や環境破壊が続けば、人類は100年で成長の限界を迎えるとする。

 ローマクラブはさらに1992年に「限界を超えて―生きるための選択」、2002年に「人類の選択」と、警鐘を鳴らし続けている。もちろんこの警鐘や分析には産業界を中心に批判も出ている。

 ただ地球という物理的な空間で、養える人口は限られることは容易に想像でき、従来型の拡大消費、拡大生産、経済成長を求める限りはその限界が訪れることは避けられない。企業は明らかに矛盾した経営を余儀なくされている。高い理念やビジョンの実現をうたいながらも、時価会計主義のもと高まる株主からの圧力に、四半期ごとの利益や株価を気にしながらのマネジメントを行わざるを得ない状況にあった。長期展望より短期の経営が優先されてきたといっていい。

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