その「しんどさ」は乗り越えられる!ビジネスパーソンのための逆境指数AQ入門
人間の能力を測る指標にはさまざまなものがある。代表的なものがIQ=Intelligence Quotient。知能指数と呼ばれるものだ。一般的には頭の良さ=IQという認識が強いとされるが、ほかにもビジネスではEQ=Emotional Quotient、すなわち感情指数が重要だとされる。EQは、自分や他人の感情を理解し、適切にコントロールできる力とされ、ビジネスだけでなく社会人として重視される指標である。さらに近年重視される指標として「AQ=Adversity Quotient」がある。耳馴染みのない言葉だが、日本語で「逆境指数」と呼ばれるもので、文字通り逆境に耐え、対応する能力を指す。ビジネス環境が激変し、想定外の事態が降りかかる現代においてこそ求められるビジネススキルだと言われる指標だ。今回はその背景と活用法、スキルを身につける方法を紐解いてみる。

目次
■エベレストの大量遭難で生き残った人とそうでない人の差は?
1996年、エベレストで大量遭難事故が起きた。5組のパーティー31名が標高8800m付近で猛吹雪に見舞われ、8人の死者が出る惨事となった。そのなかで奇跡的に生還したアマチュア登山家がいた。アメリカ人のベック・ウェザーズ(Beck Weathers)さんである。
ウェザーズさんは、山頂に向かう途中で意識を失い、氷と化した雪の中に倒れた。遭難事故の知らせを受けていた救助隊は、倒れた彼を発見していたが、救助は不可能と判断した。あたりは暗い上に、そこまでの距離は遠く、たどり着くことが困難だったからだ。しかし彼はそこから奇跡的に意識を取り戻し、改めて死に直面していることを悟ったのである。
意識を取り戻した彼の右手の手袋はどこかに消えており、右手は凍傷で「プラスチックの手」と化していた。水や食糧もなく、仲間とはぐれて、身を隠す場所もなかった。極寒と強風のなかで疲れ果て、絶望という文字が彼の脳を覆い、人影1つ見えないその場所で、彼は“死んだも同然”となっていた。だが横たわりながらも彼の脳裏にはっきりと妻子の顔が浮かびあがった時、「生きて帰ってもう1度家族に会いたい」という強い願望が湧き上がったという。次に「どうすればこのピンチから脱出し、生きて下山できるか」と考えを巡らせはじめたのだった。ウェザーズさんはそこから「自分に残された時間は3、4時間ほどしかない」と推測し、驚異的なエネルギーで1歩を踏み出したのである。彼はそれからひたすら歩き続けた。歩みを止めれば確実に死が訪れることがわかっていたからだ。

何年にも思えるような数時間が経ち、夜が白々と開け始めた頃、ある青みがかった岩のようなものの上に彼は倒れ込んだ。それは幸運にも彼の登山隊のテントだった。仲間は彼をテントのなかに引っ張り込み、凍りついた彼の衣類を切り裂き、湯を入れた瓶を胸の上に置いて、酸素を吸わせた。その時誰一人としてウェザーズさんの生還を想像していなかった。彼の妻でさえも。そのときすでに妻は、「夫が死んだ」という知らせを受けていたからだ。その数時間後にようやく「なんとか生きている」という奇跡の知らせを受けたのである。彼は重度の凍傷を負い、右腕や鼻の一部などの切断を余儀なくされたが、命を取り留め、会いたかった家族と再会できたのだった。
なぜウェザーズさんは生還できたのか。
どれほど辛い逆境でも、諦めることなく、希望に向かって挑み続けたことができたからこそである。言葉にすれば、極めて明快だ。だが半ば死んだも同然のような苛烈な環境において、希望を持ち続けて歩き続けるなど、常人にはまず不可能だ。
人が人として生きている限り、何らかの逆境にぶつかるものだ。しかしその反応は一定ではなく、人によっては、ほんの些細なことで挫折し、落ち込み、場合によって精神疾患に陥ったり、自死を選ぶ人もいる。
その差はどこにあるのか。
この問いを突き詰めたのが、アメリカの組織コミュニケーションの研究者でハーバード・ビジネススクール客員教授のポール・G・ストルツ(Paul G.Stoltz)博士である。彼は何年もにわたり問い続けた。結果、たどり着いたのがAQ(逆境指数)だった。
AQとは「大きな悲劇から小さな怒りまで、あらゆる種類、レベルの『逆境』に対応するために、人間に組み込まれた行動パターンのこと」である。AQが高いということは、逆境を乗り越えて、回復する能力が高いことを意味する。
■あなたは毎日24回の“小さな逆境”に打ち勝っている
ストルツ博士によれば、人間は仕事・プライベートを含めて1日に24回もの逆境に遭遇するという。
たとえば朝起きて、歯を磨こうとしたら歯磨き粉が切れていたり、出かけようとするといきなり雨が降ってきたり。通勤電車が架線トラブルで15分ほど遅れて、会社に遅刻してしまい、気分が落ち込んだまま、会社に着いてパソコンを開くと、部下から入っているはずの営業先の資料が届いてなかったり……。会議ではプロジェクトの内容について、ふだん指摘しないような点を別の部署の同僚から追及されたり……など、ウェザーズさんのような「命」に関わるほど深刻ではないものの、放っておけない逆境に見舞われることは日々起こる。
ストルツ博士は、人間が遭遇するさまざまな逆境を次の5つに整理している。
①予期せぬ障害やトラブル:納期直前のトラブル、システム障害、病気やケガなど計画外の出来事で、目標達成に大きな影響を与えるもの。
②反対・抵抗・対立:上司や同僚との意見の不一致、顧客からのクレームで、人間関係に起因するストレスや葛藤など。
③慢性的なストレスやプレッシャー:成果への圧力、長時間労働、評価への不安など、目に見えないが継続的に心理的負荷をかけてくるもの。
④変化・不確実性への対応:リストラ、転職、市場変動、技術革新など、環境の変化にどう対応するかが問われるもの。
⑤失敗・挫折・否定的フィードバック:企画が却下された、大事なプロジェクトから外されたなど、「できなかった」経験への向き合い方が問われるもの。
心当たりのある人が多いのではないだろうか。
とくに3番目の「慢性的ストレス」や「プレッシャー」は、企業や組織に居続ける限り、大なり小なり受ける逆境だ。ただたとえば、特別な分野や事象、特定の人に対して「苦手意識」や「過度なプレッシャー」がかかると、期待した成果が得られず、それが苦手意識を強め、自己効力感を下げ、AQを下げてしまう。
■IQの能力はいずれAIに代替される
IQが高く、学歴の高い人が社会で意外に出世できなかったりするのは、困難や逆境に対してのAQが低い可能性が高い。ストルツ博士も「AQが低ければ、どんな才能も眠ったままに終わり、いかなる願望も実現できない」と断言し、こう続ける。
「知的能力を高めることばかりに夢中になり、あれこれ情報を探し求めるよりも、まずは眼の前の山をのぼるために自分自身を鍛えることだ」(『すべてが最悪の状況に思えるときの心理学』)。
そもそもIQテストで測定できることには限界がある。IQテストで測定できるのは主に次の能力だ。
①論理的思考力:筋道を立てて物事を考え、結論を導き出す能力。
②問題解決力:未知の課題に対して、解決策を見つけ出す力。
③言語能力:言葉を理解し、操る能力。
④空間認知能力:物体の形や位置関係を正確に認識する能力。
⑤処理速度:情報を素早く正確に処理する能力。
⑥記憶力:情報を記憶し、後で思い出す能力。
これらの能力は、学業成績や特定の職業における成功と一定の相関関係があることが研究で示されている。
一方で、IQテストでは測定できない能力も数多く存在する。いわゆる非認知能力と呼ばれるもので、次のような能力が挙げられる。
①創造性:新しいアイデアや解決策を生み出す能力。
②実践的知能:日常生活や社会で直面する問題を、知識や経験を活かしてうまく解決していく「生きる力」。
③社会的知能・感情的知能:自分や他者の感情を理解し、人間関係を円滑に築く能力。共感性やリーダーシップもこれに含まれる。
④グリット(やり抜く力):長期的な目標に向かって、情熱を持ち続け、粘り強く努力する力。
⑤誠実性・協調性:責任感の強さや、他者と協力して物事を進める能力。
⑥身体能力・芸術的才能:スポーツや音楽、美術といった分野での卓越した能力。
こうして挙げてみると、IQで測定できる能力が、まさにAIに代替される能力であることがわかる。
■成功者や優れたリーダーはIQやEQよりAQを重視する
ストルツ博士は、成功者やカリスマ・リーダーになるための条件としては、IQやEQよりもAQのほうが大切であると述べており、自身はその豊富な経験知により、2021年のアメリカ全体のオリンピックコーチに就任している。
博士の指摘通り、実際名経営者と呼ばれる人の多くは逆境を克服して、会社を成長させた人が多い。経営の神様と呼ばれたパナソニックの創業者、松下幸之助さんも著書のなかで「困難な状況こそが人を鍛える」とその価値を認めた上で、「逆境は活用、善用すべきだと思う」と述べている。
AQは別に名経営者でなくても現代のビジネスパーソンに求められる重要な能力である。組織のなかではそれぞれの価値観がぶつかり合い、また環境も刻々と変化する。常にさざ波のような逆境から突然底が抜けるような逆境に襲われることもある。それは立て続けに起こる自然災害だったりするし、新型コロナのようにパンデミックであったりする。前述したウェザーズさんのように個人的な活動で生死をさまようこともある。

いわゆるメンタルが強い人であれば、同じ逆境に直面してもそれを「逆境」と思わない可能性がある。逆境を乗り越えるためには、ある種の「慣れ」や「鈍感力」が必要だろう。しかしながら、組織や社会においては「共感力」をはじめとした「心の知能指数」であるEQが問われる時代においては、個々人が鈍感力を磨くことで組織運営がうまくいくとは思えない。いわゆる組織IQを高めるうえでも、組織の一人ひとりのEQを高めることが必要だ。
■知らずに抱いた「学習性無力感」を克服せよ
EQとAQは向かうベクトルが違う。EQは周囲にいる人に向かう能力で、AQは自分の内面に向かう力である。
『人生を操る逆境指数』の著者で心理学者の渋谷昌三さんによれば、AQの高い人に共通するのは、逆境を前にして「できなかったらどうしよう」と考えるのではなく「どうしたらできるのか」と考えることだという。いわゆるポジティブ思考を持つ人であり、自己効力感の高い人でもある。
これは生来のパーソナリティの部分もあるが、逆のネガティブ思考で自己効力感の低い人は、小さな逆境を乗り越える経験が少ないことから生じていることもわかってきている。
うつ病と異常心理学に詳しいアメリカの心理学者でペンシルベニア大学教授のマーティン・セリグマン(Martin E.P. Seligman)博士は、失敗や挫折を乗り越えられない人は、「自分では今の状況を変えることができない」という思考パターン、「学習性無力感」に陥っている可能性が高いと分析している。
自己効力感が低い人は、一度の失敗で「もうだめだ」「自分にはそんな能力がないんだ」という気持ちになり、いわゆる“やる気が失せる”状態になりやすい。しかし先のストルツ博士が指摘するように現代人は1日に24回もの逆境に遭遇しているとすれば、小さな逆境は大概乗り越えているはず。問題は乗り越えているはずの逆境を意識できていないことだ。
■便利な世の中になった現代は、「逆境の時代」である
ストルツ博士は人間がぶつかる逆境には3つの段階があると述べている。一番下が「個人的逆境」でその上が「職場における逆境」、最上位に立つのが「社会的逆境」である。
博士は、個々人がそれぞれの逆境を克服していくことで、社会全体が間違った方向に向かうことを防ぎ、人々を苦しめている「不安」や「恐怖」などから解放し、より良い社会の実現に寄与すると確信している。博士の唱える逆境指数への対応は、個人のAQ差への問いから発しているが、その差は会社や国家のAQ差への問いとなり、AQを高めていかないと国家や社会の未来を奪いかねないという危機感に達している。
博士がその主著『すべてが最悪の状況に思えるときの心理学』を著したのが1999年。四半世紀前だったが、博士の目には祖国アメリカの社会が「私たちの希望が危機に直面している」状況に映った。博士は75歳から95歳までの年配者200人以上にこう訊ねた。「いまの生活はあなたが若かった頃より楽だと思いますか?」
博士は大概が「いまのほうが断然いい」と答えると思っていた。「あの頃は食べ物も必要最低限しかなかったし、エアコンもなかった。道路事情が悪い上に通信手段も当てにならない。それに娯楽の種類も少なかったからね」といった声とともに。しかし返ってきた答えは逆だった。「いまのほうがずっと大変だ」「こんな時代に子どもを持ちたくないね」「競争や情報だの、世の中のペースはどんどん速くなっている。昔は家族や友達のための時間があった。それがいまじゃ誰もゆとりがない」─。
このあまりにも意外な答えから博士は“いま”を逆境の時代と定義し、「逆境を乗り越える不屈の精神を身につけなければならない」と深い危機感を抱いたのである。「AQを一定レベルまで高めていく必要がある」と。
果たして現在はどうか。情報はさらに増え、競争は激化している。一方で生成AIが秒速で進化している現代にあっては、世界中の膨大なデータを分析して最適解を導いてくれる。別に逆境対応力を使わずとも合理的な答えが導けるはずと考えるだろう。しかし同じデータや状況に直面しても、立場や経験、そして逆境への向き合い方が違えば、解釈や行動も変わってくる。加えて昨今の複雑な環境では、データだけでは予測できない事態が次々と発生する。
■企業においてはそれぞれの部門の「最適解」の違いが逆境を生む
利害関係が複雑に絡み合う現代においては、常に予期せぬ逆境が立ちはだかるものだ。同じ目的や理念を共有しているはずの企業においても逆境は存在する。それは誰かが悪いとか、誰かの責任というわけではない。人を含めたさまざまな環境要因によって「最適解」が違ってくるだけだ。
たとえば営業部門は顧客満足を最優先に考えるが、製造部門は品質と効率を重視する。開発部門は革新性を追求するが、経理部門はリスク管理を優先する。それぞれがそれぞれの視点で会社や事業の理想を追求している。
さらに現代企業は社内だけでなく、外部からも多様な逆境に襲われる。市場の急変、技術革新による陳腐化、規制の変更─予期せぬ事態が次々と押し寄せる。営業部門は顧客の要望変化に対応しようとするし、人事部門は働き方改革や人材確保の課題に直面する。経営陣は株主や社会からの要請にも応えなければならない。それぞれの部門は社内組織だけでなく、社外の多様な変化にも対応する必要があるのである。AQが求められる背景には、複雑化する逆境の存在に加え、昨今のVUCA(Volatility=変動性、Uncertainty=不確実性、Complexity=複雑性、Ambiguity=曖昧性)の時代背景がある。
こうした環境が生み出した逆境について、我々は社会全体にはびこる「時代が生み出してきたどうしようもないこと」として諦めるのではなく、一人ひとりが「逆境への対応の仕方を改善すれば、逆境を克服し、苦難を耐え抜く力も高まる」のであり、失われていく希望を取り返し、希望と笑顔が多い社会に近づくことができるのだと、博士は発破をかけるのだ。学者である博士はこう付け加えている。「気をつけるべき点は、AQが一定水準に達していないと、間違った道を選んでしまう可能性がある」と。
つまり個人はともかく、組織に関わる人は、一定以上のAQを身につける必要が出てくる。

■AQを構成する4つの要素「CORE」
ぜひ心に留めておいてもらいたい事実は、AQはトレーニングによって向上可能な具体的スキルであることだ。「あの人だから克服できた。私なんかは無理」とハナからその習得を諦めてはいけない。
具体的なトレーニングの前に抑えておくべきは、「CORE」と呼ばれる次の4つの指標だ。すなわち①Control(コントロール)、②Ownership(責任)、③Reach(影響の範囲)、④Endurance(持続時間)である。これらの要素を理解することで、AQレベルを把握し、適切な対応戦略を立てることができる。
①のControlは、その逆境に対するコントロール範囲だ。逆境に直面した際に自分自身の反応をどのくらいコントロールできるかという要素を意味する。たとえばAQが高い人は「仕事のトラブルが起きた。でもきっと解決できるだろう」と考える。
②のOwnershipは、問題の責任範囲を指す。「問題が起きたのは、自分のせいだけではない」と認識できているかの指標だ。とかく重大問題が起きたときには、日本人はその責任を背負いがちだ。逆に関わった人たちそれぞれの責任であるのに、犯人探しに躍起になることがある。責任逃れのようにも聞こえるが、逆境に直面したときは犯人ではなく、原因を追究することが大事であることはいうまでもない。AQが高い人であれば「仕事のトラブルが起きた。でも自分だけが悪いわけじゃないから、気にしすぎなくていい」と考えるものだ。
③のReachは、その逆境の範囲を指す。直面している逆境が自分の仕事や人生にどれだけの影響を与えると考えるかを意味する。AQが高い人であれば「仕事のトラブルが起きた。でも売上には大きな影響がなさそうでよかった」と考える。
④のEnduranceは、直面している逆境がどれだけ続くと考えるかの指標。AQが高い人であれば「仕事のトラブルが起きた。でももう2~3日くらいの辛抱だろうから、大丈夫だ」と考える。
■リーダーや経営者には200点満点で135以上のCOREスコアが求められる
この4つのCOREについていい意味で楽観視し、「きっと解決できるはずだ」と自信をもてるのが、AQが高い人の特徴だ。
AQはこれらの4つの指標を元に、200点満点とする5つの段階で評価する。
レベル1(59以下)「逃避(Escape)」
─逆境に立ち向かえず逃げてしまう
レベル2(60〜94)「サバイブ(Survive)」
─なんとか生き残ろうとする
レベル3(95〜134)「対処(Cope)」
─とりあえず対処をする
レベル4(135〜165)「管理(Manage)」
─逆境をなんとか管理し解決しようとする
レベル5(166〜200)「滋養(Harness)」
─ ピンチをチャンスにし、逆境を栄養源としてさらなる飛躍を目指す
リーダーや経営者にはレベル4以上のAQが求められるとされている(詳しくは専門書を)。
実際AQの高い人材やAQを活用して成功した企業の事例を見ると、「ピンチをチャンスに変える」マインドセットを持っていることが多い。
たとえば発明王トーマス・エジソン。彼は「私は失敗したことがない。ただ1万通りの、うまくいかない方法を見つけただけだ」という名言を残している。これはAQレベル5「Harness」の典型例で、逆境や失敗を学びとして前向きに捉える思考パターンを表している。
ニトリ創業者・似鳥昭雄氏は、90年代以降の不況を「他社が動けないチャンス」として捉え、積極的な出店と商品開発を行い業績向上に成功した。これは外的な逆境を内的な機会として再定義する、AQの高い対応の典型例である。
またトップアスリートも高いAQを持っている。大谷翔平選手は、ピンチの場面(得点圏にランナーを背負った状況)になると平均球速が2.4km/h上がるというデータがある。これはプレッシャーを力に変える能力、すなわち高いAQの現れといえる。
こうした成功者の事例から読み取れるのは、AQとは単なる「我慢強さ」や「ポジティブシンキング」ではなく、困難な状況を成長と成果の機会として積極的に活用する能力だということだ。
渋谷さんによれば、AQの高い人がピンチに遭遇したときの考え方には3つの大きな柱があるという。
1つが「このピンチの影響は限られた範囲だ」と考えること。2つ目が「このピンチの原因は自分だけにあるのではない」と考えること。3つ目が「このピンチは今回だけで繰り返さない」と考えること。
■誰でもAQをアップさせるLEAD法トレーニング
では具体的にどのようにAQを高めればいいのか。代表的なのは「LEAD法」である。困難な状況に直面した際の対処プロセスを4つのステップに体系化した、誰でも実践できる実用的なメソッドで、「Listen(傾聴する)」「Explore(探求する)」「Analyze(分析する)」「Do(行動する)」の頭文字を取って名付けられた。
最初のListenの段階では、自分の内面に耳を傾け、「何が問題なのか」「何に落ち込んでいるのか」を言語化する。たとえば顧客に大事な連絡をし忘れた場合は、「契約を切られてしまうのではと不安」「上司に落胆されたのではないかと落ち込む」などと内面を具体的に書き出す。困難な状況で最初に必要となるのは、感情的にならずに現状を客観視することである。
次のExploreでは、Listenで浮かび上がった問題の解決策を考え、言語化する。1つの解決策に固執せず、可能な限り多くの選択肢を検討することが重要だ。「次は決して忘れないよう、メモやスケジュール管理を徹底する」「顧客に丁寧にお詫びし、誠意を見せる」「上司にも、今後の対処などをしっかり報告する」といった具合だ。
3つ目のAnalyzeでは、Exploreで出した解決策を改めて見直し、最終的な解決策を決める。たとえば、「まずは明日、直接顧客にお詫びをしに行こう」といったように、リスクと効果を冷静に分析し、実現可能性の高い方法を選択するのだ。
そして最後のDoは、決めた解決策を実行に移す。ここで重要なのは、完璧を求めすぎずに、まず行動を起こすことだ。たとえば「まず顧客の会社を訪問し、お詫びをする」といったことだ。
上記のような手順で対処法を考えれば、目の前の問題が「行動次第で解決可能な問題」であるとわかり、気持ちが前向きに切り替わるはずだ。
■ピンチを「ピンチだ」と自覚させるトレーニングも必要
このLEAD法を導入する場合、ポイントとなってくるのは、ピンチをピンチであると気づくセンサーを磨いておくことだ。どんな人間でも仕事に慣れが生まれてくると、ピンチの芽を見逃す可能性が出てくる。あるいは、当初は問題だと思っていても周囲が理解していないと思った場合、それを意識することを止めてしまい、無意識にピンチを無視してしまうようなったりする。気づいていたのに「気づかなかったことにする場合がある」ということだ。心理学でいう「防衛機制」が働くのだ。
先の渋谷さんは、しのびよるピンチを自覚させるためには脳にはっきりと「ピンチ」を自覚させる工夫が必要という。たとえばささいなことでも同じミスをした時「同じミスをしちゃったなあ」とぼんやり思うのではなく、「同じミスがつづいた。これはピンチだ!」と鮮明にイメージすること。その瞬間に頭のなかで「ピーポー、ピーポー」とサイレンをならすと効果的だという。アクション映画の危機一髪シーン、アスリートの登場テーマソングでもいい。危機感を煽るシグナルを意図的に脳に送るのだ。

■的確なAnalyzeのためのパニックを避ける3つの問い
一方で起こったトラブルが大きすぎると脳がパニックを起こし、的確なAnalyzeができなくなってしまう。こうした時は、自分に3つの問いかけをしてみる。
1つは、「トラブルの発端はなにか?」。2つ目が「その発端のうち、自分が原因だった部分は?」、3つ目は「その原因を解決するにはどうすればいい?」という問いだ。
ストルツ博士がいうように、企業活動のなかではさまざまなトラブルが起こる。その時最も優先すべきは、なぜそれが起こったかの原因究明とその対処法である。
日本のものづくり産業は、どの分野でも世界トップレベルだが、かつては技術力が伴わず、トラブルの連続だった。なかには製造ラインが数カ月止まるような大きなトラブルも少なくなかった。ある有名企業の工場長は、ラインの責任者であるにもかかわらずこうしたトラブルが起こるたびに、工場内が大騒ぎになっている状況をよそに、工場の外に出て散歩しながら、ゆっくり対策を考えるようにしていたという。
「一緒になって大変だと騒いでもなんの解決にも繋がらないですから。もちろん当時の上司や、場合によってはお客様が来ていたりするので、『生意気だ』と怒られもしましたが、結果としてもっとも的確な対応ができたと思っています」。
高AQの人の行動の一例だ。
渋谷さんは、高AQの人の中には「逆境を楽しむ人がいる」という。紹介した工場長はそのタイプかもしれない。先に述べた大谷翔平選手もその典型だろう。「この危機をどんな方法で乗り切ってやろうか」と胸が踊るのである。そのため彼らは、そういった危機を想定し、乗り越えるための手段やテクニックの開発に余念がない。
■AQが高い企業文化の特徴とは
個人としてのAQの力を高めるためには、LEAD法を身につけることが重要だが、ビジネスにおいては、それを会社全体に浸透させることが重要だ。高AQの会社は、低AQの会社より高い業績をあげることがわかっている。
AQの高い企業には以下のような特徴が見られる。
①失敗を学習機会として捉える文化─失敗した社員を責めるのではなく、「なぜ失敗したのか」「どうすれば改善できるか」を建設的に議論する文化がある。これにより社員は失敗を恐れずに挑戦できるようになり、結果的に組織の適応力が向上する。
②困難なプロジェクトを評価する仕組み─難易度の高いプロジェクトや新規事業への挑戦を積極的に評価し、たとえ結果が思わしくなくても挑戦したプロセスを認める仕組みがある。
③多様な視点を活かす組織運営─異なる部署や立場の人々が協力して困難に立ち向かう体制を整備し、一人や一つの部署だけでは解決できない問題に対してもチーム力で対応できる環境を作っている。
④継続的な学習と改善の習慣─定期的に組織の課題や改善点を見直し、外部環境の変化に応じて柔軟に対応策を更新していく習慣がある。
などだ。
■AQを殺すリーダーの態度22選
ストルツ博士によれば高AQの会社は、リーダーたちがどのような言葉を使って、部下に逆境対策の指導を行っているかに現れるという。
博士は、調査の結果から部下がAQを下げる上司の行動を22個挙げている。次のようなものだ。
①常に実行できない約束をする
②いつも気まぐれな行動をする
③物事のマイナス面を心に刻ませる
④被害者意識を演出する
⑤外部から打ち込まれた弾丸はすべて避ける
⑥義務や責任についてリップサービスをしておく
⑦チームの成功に対する潜在的な貢献はすべて無視する
⑧「失敗」という言葉を頻繁に使う
⑨成功は珍しいアクシデントであると定義する
⑩ユーモアは断固として許さない
⑪部下の体力を失わせる
⑫想像力を潰す
⑬独立独歩の動きが見えたら、迅速かつ徹底的に罰する
⑭希望や楽観主義を打ち砕く
⑮AQの高い人間をAQの低い人間が包囲する
⑯自分のチームを失敗に陥れる
⑰ルールに従って行動することに対して、報酬を与える
⑱厳格で寒々とした、彩りのない職場環境をつくる
⑲社員の意気込みが高まる前に潰す
⑳みんなに使命感やビジョンを持つように迫り、その後すっかり忘れてしまう
㉑権限の伴わない責任を与える
㉒「君たちはエンパワーされている」という言葉を使い、部下に大量の仕事をさせる
心当たりはないだろうか?無意識に行っているとしたら、すぐにでも改めるべきだ。逆にこれらの態度を1つでも減らせば組織のAQは高まっていく。
■AQを活かすリーダーの態度、6カテゴリ44選
では組織のAQを高めるために上司やリーダーはどんな行動を取ればいいのだろうか。博士はこの方法についても、紹介している。その数はカテゴリー別にトータル44もある。次のようなものだ。
【目的を理解させる】
①“山”を定義する
②人々の意欲を高めるような前向きのビジョンを常に明示する
③目的に合わせてすべてのシステムを調整する
④チームと会社にとっての目的をうまく調整できる組織文化を作り上げる
⑤個人の目的と会社全体とを調整する
⑥即効性のある解決策ではなく、解決にいたるまでの過程を成功に導く
【AQ関連の価値観を高める】
⑦実行できることだけを約束し、必ず実行させる
⑧自分が評価する価値観の中心に、回復力や忍耐力などを組み入れる
⑨自分の活動力の源となっている価値観について常に周囲にアピールする
⑩社内の信頼関係を築きあげ、本物のエンパワーメントを実現する
⑪日頃からユーモアを忘れないようにする
【AQを高める環境をつくる】
⑫バランスの取れた人間性を評価し、自ら模範を示す
⑬想像力を育てる
⑭相乗効果協調性が生まれる瞬間を捉え、その状態を発展させる
⑮オープンでいきいきした、お互いに影響を与え合うような環境を作り上げ、それを維持する
⑯熱意を育てる機会はどんなものも逃さない
⑰実現できることを宣言し、それに従って行動する
⑱行動することを援助する体調を確立する
【AQの高い人材を見つけ出し、育てる】
⑲AQの高い人間を雇用・創造する
⑳仕事を成し遂げるのに必要な要求を見つけ出し、それを提供する
㉑会社全体に対するチームメンバー各自の重要性を明確に示す
㉒チームメンバーが自分の長所を伸ばし、短所を直す手助けをする
㉓部下のアイデアを実行に移すチャンスを与える
㉔物事に常に積極的に取り組む姿勢を常に要求する
㉕掌握力を養わせる
【AQの意義を深める】
㉖成功をもたらした過去の苦しい戦いを褒め称える
㉗向上に対し、適切で心情あふれる貢献がなされたときには感謝の気持ちを表す
㉘AQの高さを示す伝説をつくる
㉙AQの高さを発揮した成功の事例を見つけ、それを称賛する
㉚向上をシンボルとした言葉を用いる
㉛不可能が可能になることを証明する
【AQを高めるための指導】
㉜部下が自分なりの闘いに挑む手助けをする
㉝任務を遂行するための、そして責任を果たすための真の能力を培う
㉞適切なリスクを冒すことを要求し、評価する
㉟チームがルールに縛られずに出した結果を評価する
㊱逆境で影響を受ける分野とそうでない分野を区分して考える
㊲自分のチームが飛躍できるよう、能力の限界を引き上げる
㊳チームに対して「成功にとって最も大きな障害はなにか」と問いかける
㊴「求めよ、さらば与えられん」という精神を部下に教え込む
㊵罪を憎んで人を憎まず
㊶被害者意識を追放する
㊷AQを高めるために「LEAD法」を使う
㊸過剰な悲観を避けるため、オプションとして「ストップ法」を活用する
㊹AQを定義・推測し、それについて話し合い、AQ値を高めていく
すべてを網羅する必要はない。だが1つでも実践すれば、組織のAQは確実に高まっていく。
■AQは現代ビジネスの基盤スキル
AQは、単なる根性論や精神論ではなく、現代のビジネス環境で成功するために必要不可欠な基盤スキルである。VUCA時代と呼ばれる不確実性の高い現代において、困難な状況に遭遇することは避けられない現実だ。重要なのは、その困難にどう向き合い、どう活用するかである。COREの4要素(Control、Ownership、Reach、Endurance)を理解し、LEAD法(Listen、Explore、Analyze、Do)を実践することで、誰でもAQを向上させることができる。そして高いAQを持つ個人が増えることで、組織全体の適応力と競争力も向上していく。
AI時代だからこそ、人間らしい判断力と適応力が求められる。その中核となるのがAQなのである。困難を避けるのではなく、困難を成長の機会として活用する─この考え方こそが、これからのビジネスパーソンにとって最も重要な資産となるだろう。
あなたの会社や部署、そしてあなた自身のAQはどの程度だろうか。そして、それをどう高めていくか─。その答えが、変化の時代を生き抜く鍵となるに違いない。
参考
【書籍】●すべてが最悪の状況に思えるときの心理学 AQ 逆境指数Adversity Quotient』ポール・G・ストルツ/渋谷昌三(訳)[きこ書房]●『AQ 人生を操る逆境指数』渋谷昌三[東海教育研究所社]
【WEB】●「明日の人事ONLINE」 ●「kaonavi 人事用語集」 ●「Money Forward Biz」 ●「PRIDEWORKS」 ●「KENJINS“ 顧問のチカラ”」 ●「TDS CO」 ●「スキルナビ」 ほか
POINT
■AQは現代ビジネスの基盤スキル
■人は平均で毎日24個の逆境に直面している
■IQの能力はいずれAIに代替される
■成功者や優れたリーダーはIQやEQよりAQを重視する
■知らずに抱いていた「学習性無力感」を克服せよ
■リーダーや経営者には200点満点で135以上の「CORE」スコアが求められる
■AQを活かすリーダーの態度、6カテゴリ44選を使う
■AQは後天的にアップさせることができる
■LEAD法トレーニングで高AQ組織をつくる
■ピンチを「ピンチだ」と自覚させるトレーニングも必要
ビジネスシンカーとは:日常生活の中で、ふと入ってきて耳や頭から離れなくなった言葉や現象、ずっと抱いてきた疑問などについて、50種以上のメディアに関わってきたライターが、多角的視点で解き明かすビジネスコラム