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グローバル時代を生き抜く – 異民族に学ぶ海外ビジネスネットワーク

世界に根を張る「華僑ネットワーク」

 日本は長らくものづくりの国として成長し、世界に存在感を示してきた。ただグローバル・ビジネス全般においては、必ずしも「長けている」というわけではなかった。それは近年のグローバルマーケットにおける日本企業の存在感の薄さにも現れている。

 アジアで存在感を示しているのはGDP世界第2位の中国。ただここに来て日中間においては大きな火種ができてしまい、チャイナリスクが高まっている。

 とは言え、最大人口を抱える中国は、世界の企業が注目する市場。日本企業が抜けた位置を別の外国企業が埋めるはずだ。中国からすべてを引き上げるわけにはいかない。

 日本はこの隣人と向き合わなければならない。それは中国本土だけではない。世界中で展開されている中国ビジネスと伍していかなければならない。

 東南アジアや西アジア、アフリカなど、いまや日本企業が出向くところはすでに中国企業が入り込んでビジネスネットワークを築いている例が多いようだ。

 勢いづく国内経済を背景に、いまや中国系企業は世界中を席巻し、アフリカなどの一部の国々では脅威論も出ている。

 昔から商売に関しては、「中国人は日本人よりもうまい」と言われてきた。

 その長けた商売センスのベースに「華僑」の存在がある。かつては日本の商社マンはどこにでも入っていくと言われたが、華僑の活躍ぶりにはかなわないだろう。

 華僑は、中国や台湾、香港、マカオなどに生まれ育った漢民族を主体とし、祖国を離れて海外に移住してその地域で経済活動を営む人々を指す。中国共産党は中国国籍を有する者と定義しているが、国籍を持たなくとも、また海外で何世代にもわたって生活する中華系の人々を指す場合もある。

 中華系のルーツを持つという定義であれば、華僑は全世界でおよそ4,000万人もいると言われ、その8割が東南アジアに暮らしているとされる。注目されるのはそのコミュニティ、ネットワークの強固さだ。

東南アジア経済の3割を牛耳る華僑経済

 一般に、人口比の割には華僑の地域経済への影響は大きい。東南アジアなどでは1国の経済規模に占める華僑経済の割合が20~30%に及び、経済活動だけでなく、政治的にも大きな影響力を与えてい
る。1997年にアジアを襲った通貨危機ではインドネシアにおいて、経済的に恵まれた華僑を攻撃する市民暴動が起きたほどだ。

「国捨人」と呼ばれた華僑の人々

 アジアにおいては支配階級のマジョリティを占める華僑だが、そのルーツを辿っていくと、貧しい出稼ぎ労働者だった。そのため華僑の人々は「国捨人」「国に捨てられた人」といった言われ方をされていた時期がある。

 近代中国が成立する前の、清王朝時代。貧困から逃れるために、遠く南アフリカの鉱山やアメリカの鉄道建設現場で厳しい肉体労働に従事しながら、稼いだ収入の大半を本国へ送金し、また自らもより豊かな暮らしを求めていった。

 こうした厳しい環境にも耐えて、豊かな生活とステイタスを夢見る姿は、かつての日本もあった。明治から昭和にかけて、南米やハワイに移住していった日本人たちである。彼らはなにもない荒地を開墾し、そこで生計を立て、日本人コミュニティを築いていった。

 あるいは、戦前、戦中の満蒙開拓で大陸に渡った日本人もそうだった。

 こうした異国での先人の踏ん張りは、現在の国際社会での日本人の評価につながっていることは間違いない。

 しかし、そういった歴史的共通項があるにも関わらず、世界において華僑の人々が「商売がうまい」と言われるのはなぜだろう?

マーケティングに投資をせず、商品を「根性」で売る日本企業

 中国から日本の大学に留学し、卒業後日本で起業し、自社を東証1部に上場させた「ソフトブレーン」の創業者、宋文洲さんによれば、日本企業、とくに製造業が海外で失敗する共通問題として、「商売の本質が”売ること”だとわかっていないこと」を挙げる。

 曰く、「ただ製造するために進出して、売ることを考えていない。製造したものを売るためのマーケティングに投資せず、根性で売っている」。

 根性や努力は何事においても重要だが、その根性や努力の方向性が間違っていては、せっかくの努力と時間が無駄になる。宋さんの指摘は、「日本人は、いいものをつくれるが、世界での売り方を知らなかった」ということなのだ。

迅速な決断スピード

 もう1つは、決断のスピードだ。80年代、日本の経営が欧米から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞賛されていた頃は、日本の経営は決して遅くはなかった。日本の経営者や役員たちは、会社全体の利益を重視し、和を重んじ、合議的に戦略を打っていた。結論を出すまでは慎重だが、一旦結論が出るとその行動は非常にスピーディで、しかも全員が一丸となって進むので大きな成果をもたらした。

 しかし、それは”先進国クラブ”という限られた世界での話だ。現在の世界は、新興国を含め、さまざまな国や地域がそれぞれの価値観やネットワークを駆使しながら、グローバルマーケットでしのぎを削っている。

 たとえ十分な情報が集まらなくても、あるいは逆に集まりすぎて、意見や議論が百出してもスピーディに決断を下していかない限り、グローバルマーケットで生き残っていけなくなった。

 決断のスピードアップと、変化に対応した柔軟な経営が求められているのだ。

信用に対する戦略の違い

 どこの国、地域でもそうだが、ビジネスにおいてまず重要なことは信用を得るかどうか。人種や文化、価値観も違う海外において、信用を得るというとは高いハードルだ。日本人であること、有名企業や組織の一員であることは信用を得るための大きなアドバンテージにはなる。ただ世界のビジネスにおいては、むしろいかに個人が信用を得るかが重要になる。

 華僑のビジネスにおいては「顔(メンツ)を立てる」という言葉がよく使われる。日本のビジネスでもメンツは重要ですが、華僑では最重要テーマだ。日本の場合は組織人としての立場、看板としてのメンツが強いが、華僑のメンツはあくまでその人、個人だ。

 すなわち個人の名前や顔を全面に出すのが中国のビジネスであり、組織の看板や会社のステイタスを全面に出すのが日本のビジネスであると言える。

 よく世界では、「日本人は顔が見えない」とよく評されるが、このあたりにもその理由があるようだ。

華僑社会で信用を得る3つのステップ

 では華僑社会で信用を築き上げていくにはどうすればいいのだろう。

 華僑社会においては、「外人」か否かということが一つの大きな目安となる。外人は「ワイレン」と呼び、外の世界の人を意味する。日本人が使う外人よりもっとはっきりとした区別になる。外人の関係では相手を信用していないので、嘘も平気でつくと言われている。外人のほかに、「外地人(ワイディレン)」とう言い方もします。どちらも同じ意味合いで使われるが、外地人のほうが一般的だ。

 では信用を得た人をどう呼ぶのでしょうか。それは自己人です。これは「ツージーレン」と呼ぶ。自己人は利害を超えた、深い段階に入った「信用」と「安心」が保証される関係だ。

 この自己人と呼べる関係に入っていけば、まず裏切られることはない。裏切れば、厳しい制裁があるからだ。

 自己人の領域は、安心と高い信用、裏表のない自己犠牲の関係でもある。華僑の人々は血縁、地縁による結びつきを重視する。先祖を同じくする人たちは「宗親会」、故郷を同じくする人は「同郷会」といった組織を現地でつくり、その人的ネットワークを通じて、ビジネスの知恵や情報を継承していくのだ。

 自己人の関係はまず、血縁から築かれる。地縁、さらに仕事などで知り合い、信用を得ていく業縁、さらに学業での学縁、社会奉仕など善行を行って知り合った善縁などに広がっていく。

 華僑の人が外部の人間に心を開かないと言われるのは、こうした「縁」に対する強い意識があるからである。

 では外人はいつまでも信用されないのだろうか。実はこの外人と自己人の間には途中段階がある。この段階の人を熟人「シュウレン」と呼ぶ。

 華僑社会においては、関係構築に「利」があると認めた相手に対して、互いに資源をギブ&テイクし合った結果、徐々に信用が高まり、走后門(ツオホウメン)という段階に入っていく。この段階では、非公式な裏話や秘密などを共有するようになる。ただ相手は完全に自己人の関係には入っていないので、非常に神経を使う段階であるとも言える。

 日本人の同士のように「話せばわかる」「いいものはいい」という価値観ではなく、最初から信用などされない、という前提でビジネスに入っていく必要がある。

華僑のビジネスエッセンスに倣う「和僑」

 こうした華僑のエッセンスを取り入れ、海外ビジネスを互いに盛り上げていこうという日本独自のビジネスネットワークが和僑だ。2004年に中国在住の日本人がその組織化をはかり、現在中国本土はもとより、マカオ、シンガポール、タイ、インドネシア、上海、ロサンゼルスなどに現地の和僑ネットワーク「和僑会」が立ち上がっている。

 日本国内でも東京や関西、名古屋、北海道、東北、九州、沖縄など各地に和僑会が生まれている。和僑会では華僑の人たちが重んじる「共存共栄」「相互扶助」の精神を尊びながら、先輩、先人たちが培ったその地でのやり方やビジネスノウハウを共有、伝承している。

 参加しているのは起業家や中小企業にとどまらず、大企業も徐々にメンバーに加わっている。

 こうした海外の民族集団の海外ビジネスエッセンスを取り入れたネットワークは、これからの日本人、日本企業に必要となってくるだろう。

華僑、印僑、ユダヤ、3大移民ネットワーク

 実は祖国を離れて海外で活躍する民族や集団は華僑以外にもいる。

 同じBRICsの一角であるインドの人々もそうだ。インド国外で生活を営んでいるインド人は印僑とも言われており、その数は2001年にインド政府が発表した調査によると、133カ国、1694万人に上るという。隣国のスリランカ、ネパール在住のインド系を含めると約2500万人いるとされて、約5500万人の華僑、ユダヤ人と並ぶ3大移民に数えられている。

 在外インド人はインドの隆盛とともに活躍を見せ、とくにIT分野での活躍は目を見張るものがある。もともとインドは英国の植民地だったこともあり、英語を話せる人が多く、また数学教育に力を入れてきた経緯もあってITに強い人材が育っている。インド自身も世界的なIT人材の育成を国家戦略に掲げている。

 すでにマイクロソフトやインテルなど世界的IT系企業の多くが、インドにこぞって工場や研究開発センターをおいて、多くのインド人を採用していることは周知の通り。IT企業の集積地、バンガロールはまるでアメリカのシリコンバレーのような街並みを形成し、その様子は多くのメディアにも取り上げられている。

 経済成長率では中国には及ばないものの、好調不調の波が中国ほど激しくはないインドは安定した投資先として、世界中から注目されている。インドでは安定した経済成長にともなって教育基盤の整備も充実してきており、優れた人材も数多く育ってきている。

 BRICsと注目されるまでのインドは、アジアのなかでも最貧国の1つだった。華僑同様に貧しさから抜け出すために早くから海外に活路を求めた人たちが多くいたのだ。

プランテーション労働者からIT留学へ

 インドの人々が海外で印僑となっていった流れには4つの波があったとされている。まず19世紀の英国植民地時代に、奴隷制の廃止に伴い、季節労働制や請負人徴募制の名のもとに海外の植民地の主に砂糖のプランテーションに労働者として移っていく。

 19世紀末にはビルマやセイロン(現在のスリランカ)、マレー半島などの茶やゴムのプランテーションに労働者が移っていき、20世紀初頭までに約2万人が英国の植民地国に移住していった。

 2つ目は第二次世界大戦後である。戦場となった国々では、その復興のために労働者が必要とされ、英語ができるインド人はイギリスで重宝された。

 また米国やカナダでは移民法が改正されて、1960年代後半から70年代にかけて移住者が増加したのだ。

 インド人はイギリスの植民地だった東アフリカでも、多くの労働者として集められていたが、終戦後の60年代にアフリカの各国が相次いで独立を果たすと、居場所を追われたインド人が北米へこぞっと移動したこともある。

 3つ目の波は、石油危機以降、サウジアラビアやオマーン、アラブ首長国連邦など中東産油国が油田の開発を拡大したことによる、労働需要の増加だ。中東はインドからも地理的に近く、また暑さに強いインド人は、現場労働者として期待され、多くのインド人が出稼ぎ労働者として活躍した。

 そして第4の波が、90年代からのITブームだ。経済のグローバル化とインドの経済成長が後押しをし、国内のIT技術者や学生がアメリカにわたってITを学び、頭角を現していった時期である。

 2007年〜08年の1年間でアメリカに留学したインド人は約9万5000人にものぼり、実に外国人留学生の15%を占めるに至ったと言う。

アメリカでエスニック系最高所得を稼ぎだす印僑

 華僑同様に海外の現地で根付いたインド人ネットワークは、次第に地域経済に影響力を与える存在になっている。

 2000年に行われたアメリカ国勢調査によれば、アメリカ人の平均年収が約3万8千ドルなのに対して、印僑は約6万ドルとなっており、これはアメリカの異民族系のなかでは最上位に位置している。また教育レベルでも25歳以上のインド系の人々の6割近い人が学士号を取得している。

 現在アメリカにおけるインド系の人々は250万人以上もおり、世界の在外インド系人口おいても最大規模になっている。

印僑ネットワーク構築を国策として行うインド

 在外インド人が世界的に注目を集めるのは、インド自体の経済成長もあるが、インド政府がこの在外インド人ネットワークを意図的に強化構築してきた歴史があることだ。

 とくに1970年代には、中東産油国での出稼ぎ者に対するインド政府の保護強化要請に伴って、在外インド人の保護と政府との関係強化が進められた。

 90年代に入ると、経済の自由化の推進に伴って、インド政府と在外インド人と経済的結びつきの強化が進んだ。

 大学や企業等への留学や就業が進んでおり、頭脳流出に対する懸念が沸き起こっていた。90年代以降のインド政府の考えは、在外インド人からの投資を呼び込み、海外に出ていった頭脳の還流を促進して、インドの国家開発、成長に繋げていくというものであった。

 国の発展のために在外同胞人を積極的に使おうという発想は、なかなか日本人は思いつかない、思いついたとしても実行しにくいことかもしれない。

 インドが3大移民大国と言われながら、華僑ほど大きな存在感を与えていないのは、インドの国家観によるところも大きいようだ。

 で、血縁、地縁を重視するネットワークであるが、これに対してインドはもともと多民族、多宗教、多言語の国家。同じインド人でもバックグラウンドが大きく違うため、華僑のように1つの価値観や主張に縛りつけることは、経験的に避けてきた傾向があり、それが印僑と華僑のイメージ差となっているようだ。

3大移民のユダヤ人が大切にすること

 もう1つの代表的移民、ユダヤ人はどうだろうか。

 同じ民族集団のネットワークを作り、世界で生きてきたユダヤ人は、華僑や印僑と同列には語れない部分がある。

 なにせその移民の歴史が長い。ユダヤ人は紀元前70年もの昔に国家を失ってから、世界中で迫害を受けながらも、再び自国を建設するという夢を、それこそ何十世紀にもわたって世代を超えて持ち続け、実現した歴史があるのだ。

 固有の国土というものを持たない時代が長かったため、どのような環境でも生きていけるように商売のセンスを磨くことを、同胞に求めたのである。現地化を図りながらも、民族集団としての意識と誇りを忘れないように努め続けた。

 こうした意識はユダヤ人を金融業界、金融家に向かわせた理由の1つとなっている。ユダヤ人が代々大事にしている教えをまとめた「タルムードの教え」には、次のような文言がある。

・人を傷つけるものが3つある。悩み、諍い、空の財布。
・金は良いセンス以外のものなら何でも買える。
・3つのものは隠すことができない。恋、咳、貧しさ。
・痒い時に掻くことと、困ったときに借りるお金は、一時しのぎにすぎない。
・富は要塞であり、貧苦は廃墟である。 

貧しさを憎み、金に不自由しないよう努めるよう戒めているのがわかる。しかし、決して金の亡者になることを勧めてはいない。

 他のユダヤ人の格言では、

・ 服と本が汚れたら最初に本を拭きなさい。
・ 財産は没収できても、頭の中まで没収はできない。

 などとあり、お金は重要だが、何よりお金を生み出す能力を持つことが大事であると教えている。すなわちユダヤ人にとって最大の投資は、教育であるということなのだ。

 それは学校や教育機関で学ぶだけではなく、本を読み、知恵者や知識人と交わることで、自分の知識、知恵がついていくことを意味している。つまり自己投資が大事だと伝えているわけである。

 ユダヤ人は土地が奪われて、国家がなくなっても民族の自覚と誇りがある限り、つまりどのような形でもユダヤ人という民族が残っている限り、ユダヤ人国家ができると信じていた。そのためにはまず自分たちが生き残り続けること。子孫を営々とつないでいくことが何より重要だったのだ。

カルロス・ゴーンを生み出したレバノンとは

 グローバル化時代におけるビジネス関して、もう1つ、イスラエルの隣、レバノンの人々についても紹介しておきたい。

 レバノン人と言って、すぐにこんな人と思い浮かべられる日本人は少ないと思うが、意外にもよく知られた人物がいる。

 それは日産とルノーのトップを務めたカルロス・ゴーンさんだ。その電撃逮捕は日本ばかりか世界中に衝撃を与えたが、彼が類稀なる上昇志向の持ち主で、それを強い意志をもって、注意深く、怜悧に実行してきたかは、いまさら語るまでもないが、彼の思想と志向のベースは、レバノン人というルーツにもあるようだ。

 ゴーンさんはフランスのミシュランというタイヤメーカーの北米トップとして辣腕をふるい、その後同じフランスのルノーの上級副社長にまで上り詰めた。その後、経営危機に陥った日産をルノーが救う形となった際、日産トップとして日本に送り出され、日産をV字回復させた。

 ゴーンさんの経営手腕、あるいは高額報酬については毀誉褒貶があるが、少なくともあの経営危機の際、ゴーンさんが日産にやってこなかったら今の日産はなかったことは確かだ。

 フランスのエリート養成機関でもあるグランゼコールの1つ、フランス国立高等鉱業学校出身のゴーンさんだが、生まれたのはブラジル。ブラジル系レバノン人の父親、アルジェリア系レバノン人の母親の間に生まれた。

 その後6歳からフランスの鉱業高等学校に進むまではレバノンに住み、教育を受けている。

 ゴーンさん自身は現在レバノン、ブラジル、フランスの国籍を持っているが、そのバックグラウンドは間違いなくレバノンといえる。

 レバノンからはゴーンさんのほか、メキシコの電話王のカルロス・スリム、世界的な金融危機を予言したナシーム・タレブなど、国外で活躍する人材を輩出している。

自国人口より在外人口が多いレバノン

 レバノンという国は、小さい国が集まる中東でもさらに小さい。面積は日本の四国ほど。そこに400万人が住んでいるが、在外レバノン人のほうが多く、ブラジルだけでも1000万人住んでいる。

 レバノンは、人口も少なく、主だった産業は農業である。しかし国土が狭いので大きな発展は望めない。第二次世界大戦後は三次産業も発展していったが、大きな企業が生まれることはなかった。このためレバノン人は早くから国外で働くことを意識しており、インドやユダヤ人同様、教育に力を入れる国柄だ。

 また多宗教の国であり、民族的にもアラブ人や欧州系の人種がモザイクのように入り交じっているので、価値観や文化的背景が違う人々とどのように付き合っていくべきかがわかっている人々でもある。公用語はアラビア語だが、複数の言語を使える人がたくさんいる。

 つまりレバノン人たちは、最初から世界のなかで生きていく、生き残っていくためにはどうしたらいいかを考え、国をつくってきたのだ。

 これはイスラエルのユダヤ人にも当てはまる。

 華僑、あるいは印僑、ユダヤ人、レバノン人のように海外における商売においては、日本人以上にセンスを磨いている人たちがたくさんいる。

 彼らのすべてを理解し、自家薬籠中のものとするわけにはいかないが、見習うべきところは素直に見習い、世界的視点に立ったきめ細やかなビジネス展開を図りたいものだ。

< POINT >

■ 世界3大移民の華僑、印僑、ユダヤ人
■ 移民が進んだ国は、ビジネスがうまい
■ 華僑では最初は「外人」として冷たくされる
■ 小国のレバノンは、最初から海外に羽ばたくことを意識して教育をしている
■ 海外移民と本国との強固なネットワークを国策として進めるインド
■ 貧しさを戒め、お金の大切さを教えるユダヤの教え
■ だがそれ以上に教育の重要性を説くユダヤ人
■ 日本人以上にビジネスセンスがある民族や人々はたくさんいる


 

【newcomer&考察】空前のハイボールブームで盛り上がり 変わる洋酒模様

 洋酒業界に異変が起きている。ここ最近、高級国産ウイスキーの販売休止が相次いでいるのだ。昨年はサントリーの「白州12年」「響17年」の出荷が止まった。そして今年に入って、キリンの「富士山麓 樽熟原酒50°」やサントリーの「白角」「知多350ml」などが販売中止となっている。
 理由は急激な需要増だ。

 落ち込み続けていたウイスキーの国内市場は、2010年頃から徐々に回復し、2017年には、ここ数十年で最低だった2008年の2倍以上まで持ち直している。

 需要増の要因は国内だけではない。最近は海外で”ジャパニーズ・ウイスキー”の評価が高まり、輸出が急増していることもある。ウイスキーは仕込んでから数年から数十年寝かせるため、出回る量はその数年前、数十年前の仕込み量で決まってしまう。急激な需要増には対応できないのが悩ましい。

 国内の有名ウイスキーが払底している最大の要因は、サントリーが若者向けに仕掛けた角瓶のハイボールプロモーション。これが爆発的にヒットした。その余波はサントリーのみならず、キリンやニッカを要するアサヒビールにも及んだという次第だ。

 メーカーは、限りある原酒をどの商品に割り当て、どの商品を販売休止させるかという、苦渋の決断を迫られた。

 そんな、大手の”非常事態”の機に乗じ、二つの波が割って入ろうとしている。その1つが、地方の小規模な蒸留所でつくられる少量生産のウイスキー「地ウイスキー(クラフトウイスキー)」だ。

 たとえば、話題を呼んだ「イチローズモルト」で知られる埼玉の株式会社ベンチャーズウイスキーの秩父蒸留所や、シングルモルトの「三郎丸」やブレンデットウイスキーの「ムーングロウ」をつくる富山の若鶴酒造が手がける三郎丸蒸留所、2016年に誕生した福島の笹の川酒造が手がける安積蒸留所、信州の本坊酒造が手がけるマルスウイスキー、長浜浪漫ビールの長浜蒸留所など、国内の古参、新興勢力も続々と台頭し、サントリーとニッカの2社だけで9割近いシェアを占めている国内のウイスキー市場の中で、存在感を示している。

 もう1つのウエーブは、”ウイスキーの産地=冷涼な地域”という常識を覆す、暑い国からの攻勢だ。

 そのホットスポットになっているのが、台湾。同国のシングルモルト「カバラン」は、スコットランドの3~4倍の早さで熟成するという”早熟”技術を用いて、世界的コンペティションで最優秀シングルモルトを2年連続で受賞するほどの実力まで上り詰めている。

 知る人ぞ知るウイスキー大国と言われるのがインド。そのインドから国分グループが輸入しているのが、シングルモルト「ポール・ジョン」だ。こちらも、国産ウイスキー不足を補って余りあるほどの実力派として知られ、世界24カ国で発売されている。また新興のウイスキーボトラーでもある静岡のガイアフローが輸入しているのが「アルムット」。シングルモルトからバーボンテイスト、ラムテイストなど日本や本場スコットランドでも出会えないような実にバラエティ豊富なラインナップを揃えている。

  一方払底したウイスキーに変わって、大手メーカーでは、バーボンなどの拡販に躍起となっている。サントリーは2013年に買収した「ジムビーム」(子会社のビームサントリー社販売)でハイボールを提案、モデルのローラを用いたCMで「角ハイボール」の二の矢を放った。

  これとスイッチするようにニッカを持つアサヒビールは、バーボンの老舗ブランド「アーリータイムズ」と「ジャックダニエル」の販売権を得た。ちょうどサントリーと販売権交換するような形となったのだが、アサヒビールもバーボンの定着を図るべく、若者向けのプロモーションを手がけている。

  現在、国内大手メーカーでは原酒不足改善に向け、貯蔵庫の増設や蒸留所の生産能力増強などへ巨額を投じて対策を急いでいるが、原酒が樽の中で眠っている数年の間に、果たして市場が大きく変化しないか、気になるところだ。

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