COLUMN ビジネスシンカー

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2020.02

いま世界が注目! SDGs時代に考えたい 日本人の知恵「三方よし」

最終的に利潤の低い公共性の拡充をめざす近江商人

近江商人はさらに地域に積極的に貢献していた。たとえば、東京日本橋に本社をおく繊維商社のツカモトコーポレーションは、近江商人の流れを組む企業だが、江戸時代に近江を出て最初に出店したのが山梨だった。その後塚本一族は東京に出店先を移して事業を営んでいたが、明治末期に山梨を未曾有の水害が襲う。事態を知った創業家3代目の塚本定右衛門は、その復興緑林費用を拠出したのであった。定右衛門はこの時135haを造林した。一帯の山はいまでも「塚本山」として現在に至るまで、山梨県の見本林として保全され、優良なヒノキ、スギの生産地となっている。

ほかにも秩父に進出した矢尾一族は、現在の矢尾百貨店の基礎を築いている。秩父一帯が飢饉を見舞った時には酒造米を放出し、地元の人々に分け与えたりするなど
「三方よし」の考えを貫き、地元に貢献してきた。明治時代、政府のデフレ政策で一帯が窮乏に陥り、これを背景に起こった秩父困民党の騒動では、一帯の金融業者が焼
き討ちにあったりしたが、同様に金融業を営んでいた矢尾商店は「地元のために尽くしていった店だから、構わなく商売を続けていい」と暴徒化した秩父困民党に言われ、
炊き出しの要請を受けたという。矢尾百貨店は地域になくてはならない存在として、いまなお広く秩父市民に支持されている。

しかしながら、商人が地域の公益性を重視した活動をしてきたのは、近江商人に以外でも見られる。

たとえば映画『殿、利息でござる!』のモデルとなった仙台藩、吉岡宿の造り酒屋・両替商の浅野屋は、重税などで疲弊していく宿場町一帯の町民、村民を救うために私財を元に仙台藩に貸付をし、その利息で宿場町の復興を実現している。浅野屋は地元民にとってはがめつい両替商とみなされていたが、それは地域に飢饉や災害などの不測の事態のために、準備してきたためであった。そのことを知った地元の有力者たちは限りある私財をなげうち、貸付のための元手としたのであった。

こうした例は、おそらく全国にあった。しかしながら、近江商人の公共性に対する意識は他の商人比べても高かったようだ。

滋賀県同友会の副幹事を勤める藤野商事の社長の藤野滋さんらは、現代に至る代表的商家の38社の家訓のその内容から公共性と利潤とを軸とした4つの領域に分類している。すると近江商人に関して、特徴的なことがわかったという。

「一般的に企業は、利潤も公共性も低い第一領域から始まり、成長するに従い利潤の高い第二領域に向かう。次に利潤も公共性も高い第4領域に向かっていく。しかし家訓からみる限り、近江商人は利潤の低い第二領域から利潤が低く公共性の高い第3領域に向かっていくことがわかったのです」

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