COLUMN ビジネスシンカー

  • SHARE
  • LINE
2020.06

ポストコロナ時代の羅針盤
知って目からウロコ!
開疎化の時代の産業集積入門

なぜ気仙沼は
フカヒレのまちと
なったのか

日本は島国であることから、海産物や水産加工品の集積地として知られている地域も少なくない。宮城県気仙沼市は古くからフカヒレのまちとして知られている。

日本のフカヒレは海外でも高級品としても認知されており、江戸時代から明や清へ輸出されていた。気仙沼のフカヒレは江戸時代末期頃に製造が始まった。市内で毛皮を取引きして商売をしていたある店主が、横浜に出向いた時にフカヒレが商売になるというのを知ったのがきっかけだ。

なぜ気仙沼だけが「フカヒレのまち」と呼ばれるようになったのか。気仙沼は近海漁、遠洋漁の拠点で、マグロやカジキなどを獲る延縄漁(はえなわりょう)が盛んだ。延縄漁ではマグロやカジキに混じってサメが獲れてしまうことが多かった。その水揚げ量は日本一で、現在では日本の約8割から9割を占めるとされている。そのため、気仙沼市内では古くからサメを原料とした水産加工業が盛んだった。サメ肉をすり身にして、かまぼこやちくわなどの練り物の原料として使い、できたかまぼこやちくわは東京など首都圏に出荷していた。

  • LINE