COLUMN ビジネスシンカー

  • SHARE
  • LINE
2020.06

ポストコロナ時代の羅針盤
知って目からウロコ!
開疎化の時代の産業集積入門

江戸時代は
紀州の熊野節が
最高級だった

鰹節が大きく発展したのは、紀州の漁師が製法技術を高めてからだ。紀州の漁師がつくった鰹節は「熊野節」として京都の上流層に浸透していく。江戸時代になると調理本の普及と相俟って、その調味料のニーズが高まり、なかでもこの熊野節が高い評価を得るようになった。

熊野節は従来藁で燻蒸していたものをナラやクヌギなどの薪を使った煙で燻す方法に変え、またカビ付けという技法を確立したことで一躍有名になった。

この熊野節の先導的役割を果たしたのが紀州の漁師、角屋甚太郎とその一派であった。

熊野節の製法を積極的に導入したのが土佐藩である。土佐藩はこの甚太郎を招き入れた。土佐藩に出向いた甚太郎は土佐節の改良を重ね、とくに悪いカビの付着を避けて、良質なカビで乾燥と質を高めた。

一方江戸時代の後期になると、同じ紀伊の土佐与一という鰹節職人が安房と伊豆にその技法を伝える。伊豆では土佐節のいい部分を取り入れ、とくにカビ付けを2度3度繰り返すことで、乾燥度の高まった良質の鰹節に変化していく。この伊豆節を改良したものが焼津節だとされている。

枕崎の鰹節の場合、江戸中期の宝永年間(1704 〜 11年)に、同じ紀州の森弥兵衛が本格的な製造法を伝えてから変わっていった。当時より紀州の鰹節製法は秘伝であり、門外不出だった。しかし折しも紀州では大地震と津波により沿岸部が壊滅状態となってしまった。そこで薩摩藩が移住を条件に弥兵衛を呼び寄せたのだ。

以後、枕崎の鰹節は品質を高め、寛政年間(1789 〜1800年)には、「土佐と薩摩を名産とする」と言われるまでになっていった。

  • LINE