COLUMN ビジネスシンカー

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2020.11

外国人が来ない今だからこそ鍛える
日本のビジネスマンの教養!
押さえておきたい
日本庭園のキホン

船に乗って
遊ぶためにつくられた
池泉舟遊式庭園

日本庭園は蘇我馬子の時代に大陸の様式を模して作庭が始まったが、そこで重視されたのが水だった。とくに九山八海を表現する神仙思想から生まれた庭園では海を表現する池泉は必要条件だ。庭はもともと古代においては神社の境内や祭りの場の性格を持っていたが、遊びができる場としての役割が大きくなり、やがて池泉に舟を浮かべて音楽や舞踊を楽しめるような大型のつくりに変わっていった。舟を浮かべて遊ぶことからこの形式を「舟遊式庭園(しゅうゆうしきていえん)」と呼ぶ。また池泉も長く曲がりくねった造形が多いことから、曲水庭園(きょくすいていえん)と呼ばれることもある。いまでは言えばさながらディズニーシーかUSJといったところだ。時代の順番からすれば、ディズニーシーやUSJこそが現代の日本庭園なのである。

さて舟遊式庭園や曲水庭園は奈良時代に発達していったが、平安時代になると、寝殿造(しんでんづくり)の屋敷に大きな池泉を配した庭園がつくられるようになる。平安京があった京都は水に恵まれた土地で、掘るといたるところから水が湧いたようで、記録によると数多くの大池泉庭がつくられていた。

貴族たちは、その大池泉に龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)といわれる、船先に龍と鷁と呼ばれる想像上の水鳥を飾った2艘の舟を浮かべ、遊びに興じていた。

この時代貴族の生活の中心は庭だった。建物は庭に付随する存在で、寝殿造の名の通り、寝るだけの場だったようだ。

この時に発達したのが、池泉までの水を引く「遣水(やりみず)」だ。遣水は地下水を掘り上げ、曲線の水路で引いてくるのが基本で、平安時代になると寝殿造の建物の床下を通すスタイルに変化していく。これは夏に涼を呼び込むものとして人気を博していった。また床下を通すことで生まれるせせらぎの音も楽しんでいたようだ。

この遣水は当初直線的でしたが、時代が下るにつれ、徐々に曲線に変化していく。

大陸から庭園文化がもたらされた頃の日本の庭園は、直線を主体とする四角いものだった。当時の中国大陸の技法や考えが反映されたものだが、これは当時の中国大陸だけではなく、ヨーロッパでも同様で、その多くが直線的だけでなくシンメトリックな形をとっている。ところが日本では奈良時代に入ると直線的な造園はみられなくなっていった。

曲線的な造園にシフトした理由としては、中国伝来の「曲水の宴」の影響を受けたという説が有力だ。曲水の宴とは、中国伝来の宴で、曲がりくねった川の汀(みぎわ)(水際)に座り、上流から盃を流し、盃が目の前を通るまで詩歌を詠むという優雅な遊びのことだ。

これを奈良時代の貴族たちが、その嗜みとして取り入れ、その嗜みの場としての庭園が次第に曲水庭園に変化していったのだ。遣水もこの影響を受け、曲線化していく。

遣水は平安時代以降、一旦廃れていったが、江戸時代になると大名たちが造作した大名庭園のなかで復活していった。

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