COLUMN ビジネスシンカー

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2020.11

外国人が来ない今だからこそ鍛える
日本のビジネスマンの教養!
押さえておきたい
日本庭園のキホン

枯山水が広がった背景には
「コスパ」と「応仁の乱」がある

平安時代から鎌倉時代へ移ると、社会が貴族中心から武家中心に変わっていく。庭園もまた変化していった。

大きな寝殿造ではなく、座敷に畳を敷いた現代の和風建築に近い書院造になっていった。庭園の規模も縮小し、舟遊式庭園から回遊式庭園に変わっていった。とくに禅宗の影響を受けた鎌倉時代の武士たちは、質素な生活を好み、舟に乗って遊びに興じるより、池の周りを歩きながら思索を巡らしたと言われている。

また禅宗の影響により、庭で行われていた行事や儀式が、室内で行われるようになり、大型の庭園は不要となっていった。庭園は徐々にコンパクト化していったのだ。

さらに室町時代となると庭園は大きな変化を遂げる。水のまったくない枯山水の庭園が広まっていったのだ。

枯山水が登場した背景にはいくつもの要因が重なっている。

禅宗の影響に加え、京都に水が出る場所が少なくなっていったこと、広大な敷地を確保することが難しくなっていったこと、さらにこの時代に北宋から入ってきた絵画、水墨画の影響もあった。モノトーンの陰影で構成される水墨画を3次元で体現するのに枯山水が適していたからだ。とくにこの時代に活躍した画家、雪舟(せっしゅう)の影響は大きく、峻険な岩山をダイナミックかつ幽玄な筆致で描かれた絵は、石を主体とした枯山水の庭園にぴったりだった。また水墨画は景観の全てを描かないため、観るものの想像力を掻き立てた。その省略の美が枯山水にはマッチしていたのである。

もう1つ枯山水が広がった背景は、ずばりコストパフォーマンスの高さだった。広大な敷地に池泉や植樹、多くの石組を要す大庭園は多くのコストがかかった。造園だけでなく、維持管理もばかにならない。とくに室町時代には、応仁の乱が京都の街を壊し、武士たちも貴族も疲弊していたため、大規模な庭園を築くことが難しくなっていたのだ。

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