COLUMN ビジネスシンカー

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2020.11

外国人が来ない今だからこそ鍛える
日本のビジネスマンの教養!
押さえておきたい
日本庭園のキホン

茶の湯が生み出した
「露地」という世界

その後時代が安土桃山時代に入ると、茶の文化が庭園の造形を変えていく。

その1つが茶室の登場である。庭園の一角に、客人を招き入れ茶をもてなす専用の場として小さな茶室が設けられ、茶の湯のイメージを広げる空間として茶庭が登場した。茶庭は茶室まで歩む「道すがら」を意味することから、次第に「路地」、さらに「露地」と変化していった。千利休は露地を「世の中の汚れをすすぐ場」ととらえ、自分の清浄の世界に身を置かないといけないと考えていたようだ。

そのため、露地は質素で、深山幽谷の庵の風情がよしとされた。露地は清浄を旨とする場なので、口や手をすすぐために「手水鉢」が置かれるようになった。

この手水鉢をシステマチックに構成したのが、蹲踞つくばいだ。蹲踞は手前に手水をするために乗る「前石」、夜会のために手燭(手持ちの灯)を置く「手燭石」、鉢からこぼれる水を受ける「海」などがセットになって構成された。

もともと用と美のバランスを追求する茶の湯から発展していった露地においては、蹲踞の中心となる手水鉢もまた多様化していった。「袈裟形(けさがた)」「鉄鉢型(てっぱつがた)」「四方仏形(しほうぶつがた)」、「笠形(かさがた)」などさまざまな趣向を凝らしたタイプが、およそ20種以上誕生している。

石灯籠が登場するのもこの頃。お茶で夜咄をしたり、暁の茶会のための明かりとして露地脇に置かれるようになった。

露地はやがて茶の湯の発展とともに複雑化し、外露地と内露地に分かれていく。

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