COLUMN ビジネスシンカー

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2021.01

曖昧で不安なコロナ時代を生き抜くための
2つの思考法
アート・シンキングと
ネガティブ・ケイパビリティ

いまのアートは、実用アートが抜けた「抜け殻」。
だからこそ触れる意味がある

デザインはアートを構成する一部であり、より実用に即した「応用芸術」、すなわちApplied Artである。これに対してアートはFineArt、つまり純粋アートと称される。実用性の有無は問われないのだ。実はアートは、その歴史のなかでデザインのほかにも建築やマンガ、映画などさまざまなAppliedArtを生んできた。

三浦さんは、現在のアートはこうしたさまざまな応用芸術が抜けていった「抜け殻」なのだという。だからと言って意味がないというのではない。逆だ。

つまり、現在のアートはまだ名称化されないカテゴライズされない分野の思考法であり表現方法であるということだ。これは哲学も同じだ。

哲学はその歴史のなかで数学や物理学や天文学といったさまざまな学問が分化していった。現在の哲学はその残骸であり、まだ名前もつけることができない謎なものが「哲学」として残っているのである。いわば現代の哲学は新たな学問や思考法を生み出す思考の培養液なのである。

アートも同じだ。実用的なものとして分化していったデザインや建築とかマンガはFine Artよりわかりやすい。このためアートには「ハイアート」と「ローアート」という分け方がある。

ハイアートは、単純に言えば、「わかりにくい」アート。ローアートはわかりやすいアートのこと。例えば文学では直木賞の対象になる「大衆文学」はローアートで、芥川賞の対象になる「純文学」はハイアートというように分けることができる。最も近年はその区別もなくなってきたが......。

ローアートは「よりわかりやすい」特徴を持つため、市場原理が働きやすい。絵画でも色彩が鮮やかでわかりやすい印象派などの絵が高値で取引されるのはそういった理由がある。

しかしこれが現代アートとなると事情が違ってくる。絵画であれば、キャンバスに絵の具を使って描くものだけではなくなってくるからだ。絵の具をぶつけて表現したジャクソン・ポロックや、キャンバスにカッターで切れ目を数本入れただけで作品としたルーチョ・フォンタナなどもいる。画材を使わず、美術館やアトリエから外れて、自然のなかに石を並べて創作した作品もある。

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