COLUMN ビジネスシンカー

  • SHARE
  • LINE
2021.04

天才作曲家ヴィヴァルディを支えた
世界初の女性楽団
「フィーリエ・デル・コーロ」

感染症が人々の気持ちを
音楽に向かせた

当時ベネチアでは感染症が流行し、3分の1の人が亡くなった。すると市民の間に懺悔の気持ちが高まり、音楽のニーズが生まれたと言われている。

オスペダーレの運営者たちは、演奏会を催すと教会へ人が集まることに気づいていった。寄付金も集まるようになり、それは少女たちの演奏の上達に応じて増えていった。18世紀ともなると、オスペダーレは積極的に演奏会の宣伝をするようになった。

毎週、土曜日と日曜日の夕方には教会で演奏会が催され、多くの人が集まり、教会に入れない人は運河のゴンドラの上で聴いていた。演奏を聴くことは無料だったが、椅子に腰掛けて聴く場合は有料とした。そのなかには遠くフランスやイギリス、ドイツなどのグランド・ツアー客もいた。

演奏曲は当初は既存曲だったが、作曲家に依頼し、オリジナルも演奏するようになった。

依頼を受けた一人が、ヴィヴァルディだった。ヴィヴァルディは6年間でピエタの演奏家のために140曲も作曲した。

ヴィヴァルディが旺盛に曲を紡ぎ出せたのも、フィーリエのメンバーが優れていたからにほかならない。

ではなぜ4つのオスペダーレのなかで、ピエタだけが突出していたのだろうか。

特別なプログラムを持っていたからなのだろうか。

  • LINE