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【インタビュー】「おやさいクレヨン」は、親子の時間をデザインするために生まれた。【前編】

[インタビュイー]
mizuiro株式会社
代表取締役
木村 尚子さん

色鮮やかなみずみずしい野菜たち。この色が絵の具になったら素敵な絵が描けそう……。

幼い頃にそんなことを夢想し、心躍らされた人は少なくないかもしれない。そんなファンタジックな夢を実現した人がいる。

青森県のスタートアップ、mizuiro株式会社の創設者で代表取締役の木村尚子さんだ。木村さんが開発した「おやさいクレヨン」は、野菜の端材の粉末などを原料に米油のワックスで練り込んでつくったまさに自然由来のクレヨン。

子どもが口に入れても安全で安心だ。

デザイナーとして勤務していた頃、客先からの急な変更要請などで、定時で仕事を終えることができず、子どもとの時間をとることができなかったことから、思い切って独立。

ゼロから得意先を開拓し、少し時間に余裕が持てた頃、出会った藍染展が木村さんの人生を変えた。そこにはふだんモニター越しに見えている青色から得られない、刺激的な色彩が広がっていた。

白とグレーの世界が続く青森の冬の世界で「色を求めていた」木村さんは、そこからカラフルな野菜の色へと創造力を広げる。そして1年後、日本最大級の展示会のブースで取材のマイクを受ける木村さんがいた。手にはできたばかりの「おやさいクレヨン」を持って……。

白とグレーの長い青森の冬が
色への欲求を高めていった

BIZ●まず「おやさいクレヨン」をつくろうと思ったきっかけを教えてください。

木村尚子さん(以下木村)●もともとデザインの関係の職場で働いていましたが、当時小学生の娘を1人で育てるという事情もありまして、仕事と家事、育児のバランスを自分で調整できる働き方にしたいと思い、独立してフリーランスのデザイナーとして営業活動を始めたことがもともとのきっかけなんです。

BIZ● それまでは会社に所属していたんですか?

木村●そうです。デザインというよりは、紙面構成をしたりDTPのオペレーターという感覚が強かったんですがどうしても突発的に修正が入ったりして、決まった時間に帰れないことが多かったんです。デザイナーはそういう業種だと親も理解してくれて、子育てを手伝ってくれたのですが、やはり娘が心配というのもあって、独立しました。それが2012年です。自宅の1室でパソコンのマック1台を買って始めましたが、後先考えずにいきなり辞めてしまったの、1ヵ月くらい親にも言えなくて ・・・(笑)。まだスマホがそれほど広まっていなかったので、最初は自分の作品をポートフォリオとしてまとめて紙媒体で持ち歩いて営業していました。飲食店などに飛び込みで営業活動を始めて、売り上げが立つようになり、それまで憧れていてもできなかったプロダクトデザインに挑戦しようお思ったのが、おやさいクレヨン開発のきっかけですね。

BIZ●いきなり辞めるというのは、思い切りがいいですね。

木村●そうですね。逆にそれがよかったと思います。後がないぞって必死に営業せざるを得なかったから。細かい仕事が多かったんですが、それでも塵も積もれば山となるで、なんとか軌道に乗りました。娘と一緒の時間をつくりたいと思って独立したので、娘が帰って来る頃には自宅にいるようにしてました。仕事は夜娘が寝てからしていました。ただ仕事は一旦受けてしまえば、あとはメールでのやり取りで済むので、融通もきくようになって、心の余裕もできていきたこともあります。

BIZ●いきなりクレヨンに挑戦したのですか。

木村●最初は、藍色のインクをつくりたいと思ったんです。たまたま見に行った藍染の展示会で刺激されて。全国の藍染作家の作品が展示されていたんですが、そこで見た藍染の色に感銘を受けたんです。いつも見ているパソコン上のデジタルの色ではない、天然の色にすごく感動して、この色でインクができたらって思いついた。できればカラー展開したいなとも思いました。どうしたらいろいろな色ができるかを考えた時、ほうれん草を茹でた時の煮汁の緑とか日常の料理の色が浮かんだのです。いろいろな野菜の色がシリーズ展開であったらかわいいなあと思って。でもどうしたらいいかわからなかった。それで青森県の工業製品などのフェアなどに顔を出しているうちに、行政の方や6次化支援のアドバイザーの方と知り合って、「相談窓口に来てみてはどうか」と誘われたんです。そうやって何度か足を運ぶようになって、具体的な形になっていきました。

欧米の人がブルーインクで手紙を書くように
藍染の色のインクで文字を書く文化を作りたい

 BIZ●このインタビューシリーズでは以前、伝統工芸の技を現代に活かす事業をされているaeruさんにお話を伺ったのですが、その時も事業化した最初の商品は藍染だったと言ってました。藍染って日本人、あるいはそういったクリエイターの方に何か訴えるものなのでしょうか?

木村●そんな力あるように思いますね。深い青が。なぜ葉っぱからこのような深い色が生まれるのかという不思議さだったり、そこに懐かしさとか、それを感じるのは日本人ならではないのかなと。

BIZ●デザイナーになる前から藍染には関心があったのですか。

木村●その藍染展を見に行ってからです。それまではむしろ地味なイメージを持っていました。でも若い作家さんが現代にマッチするような新しい藍染の作品や、ブランド化されている作品を見て「なるほど」と思いました。伝統の技を、見せ方次第で今風にまた息を吹き込ませることができるんだということが、とても勉強になりました。

BIZ●同じ東北地方でも青森はまたちょっと独自の文化があって、藍色に惹かれるのは、青森独特の感覚があるような気がします。とくに自然が厳しいので、自然に対する見方、感じ方があるのかなと思ったりするのですが。

木村●確かにそんな感覚はあると思います。特に青森は冬になると白とグレーの色がない世界が3.4ヵ月続くんですね 。そういう日々のなかで私は色が好きなので、色が単純に欲しいという欲求がありました。その中で見た青っていうのは、たぶん印象的であったと思います。

BIZ●最初は色から入ってその後その野菜の端材に注目していった・・・。

木村●はい。入り口は色を作りたいということ。もともと絵が好きだったこともあって、絵を描くものがつくりたい、もしくは伝えるものをつくりたいと思ったんです。欧米の方々がブルーのインクで手紙を書く文化があるように、そういう思いを伝えるための何か文化的なものを作りたいと思う部分がありました。

青森県の補助事業となり
9ヵ月で結果を出さなければならなくなった

BIZ●アドバイスを受けるようになって、その後、インクの事業化という段階があって、クレヨンに行ったわけですか。

木村●最初インクとクレヨンと両方並行して進めていたんですが、インクのほうが難しく、結果的にクレヨンになりました。運良く県の補助金事業に採択されて、開発費用の補助を受けて、開発スタッフも 2名雇用することができたんです 。2人のうち1人が藍のインクの開発でもう1人が別案を担当して、野菜の色を使ったクレヨンが出てきました。最初色鉛筆も考えたのですが、調べるとハードルが高かった。燃焼させて色となる部分を作っていくと、野菜野菜の組織が無くなるんじゃないかとか、そういう話し合いを経て、クレヨンに行き着きました。関わっていた人に子どもがいたので、クレヨンなら子どもと一緒に使えそうだし、子どもが1番最初に手にする画材だということで別案が決まりました。

BIZ●補助金を受けて人をいきなり雇うというのもハードルが高い気がしますが。

木村●高かったですね、初めて自分が雇う側での面接だったので。でも私は人との出会い運は恵まれていました。採用したスタッフに聞いたんですけど、面接の時「この人と一緒で働いて大丈夫かな」って不安になったそうで、「私が何とかしてあげなきゃ」と思ったと言ってました(笑)

BIZ●インクはどういったところが難しかったのですか。

木村●弘前大学に藍染専門の教授がいて、そちらにスタッフが通いながらインクの研究を進めたんですが、自然のものなので管理も難しいし、匂いもきつくて。藍染って葉っぱを腐らせてつくるので、すごく臭いんですよ。原液は出来上がったんですけどそれを流通させるための加工法が見つからなかったんです。それと誤飲が起きた場合などの臨床実験なども出来ておらず、開発期間の9ヵ月で報告書を上げなければならなかったので、藍染のインクは間に合わないなと考え、断念しました。一方クレヨンは割と上手く進んでいきました。最初は社内で試作をしていて、ろうそくのろうを溶かして、そこにトマトジュースなどを入れて固めたりすると着色がうまくいき、最初はトマトのクレヨンをつくってその後に本格的な工場を探すことになりました。

BIZ●自分たちで最初にレシピのようなものをつくり、あとは生産をお願いした・・・。

木村●そうですね。こういった方法があって、精度を高めるにはどうしたらいいかという相談をしていきました。そのなかで名古屋の㈱東一文具工業所さんがクレヨンの作り方をYouTubeに上げていて、それを見つけて電話したんです。するとたまたま電話に出た方が興味持ってくれて快諾してくださった。ただ周りからはそういった未知のものには手を出さないほうがいいという意見もあったようで、隠れて試作をしてもらったりしました。そうやって試作の改良を郵便でやり取りしながら進めていきました。

BIZ●最低限の色のラインナップは決めていたんですか?

木村●最初は手に入った野菜の濃縮液やパウダーを手当たり次第試してもらって、それで何が出来て何ができないのかを調べました。あとはワックスも種類があつて、普通は石油系のワックスを使うのですが、天然由来のワックスにしようと、なたね油とか蜜蝋などを試し、最終的に米油にしました。ちょうど米油が流通するようになっていた時期で、米と野菜という組み合わせがすごく日本人的で面白いということで、決まりました。

BIZ●本当に手探りで試行錯誤しながら1つひとつ、つくっていったんですね。

木村●雇用した2人は開発だけで、他の仕事がないのでそれに専念できたというのもあります。

BIZ●その間はデザインの仕事はどうしていたんですか。

木村●自分のデザインの仕事は自宅に帰ってからしていました。昼間は事務所を借りていて、そこに2人が出社してきていて、一緒に3人で開発の仕事をしてました。子どもが寝てからデザインの仕事をしていたので体力的にもきつかった。そんな日が9ヵ月続きました。30代前半だったのでまだ無理がきいたんですが、いま同じことをやるとなるとちょっと無理ですね。

BIZ●初めてのことで、しかも期限が決まっているなかで成果を出さなければならないというプレッシャーもあったかと思います。ぶつかったりしたことはなかったんですか?

木村●きっと思っていたことは多分あると思うんですけど(笑)、1つずつ形になっていく喜び、達成感を共有しながら進んでいたのがたぶん良かったんだと思います。

BIZ●雇用期限があるのは厳しいですね。

木村●厳しかったですね、その9ヵ月は本当に。ただそれ以外の業務がなかったのでできたと思いますね。

全国的展覧会で取材のラッシュ
サンプル2000個が一気に捌けた!

BIZ●実用化できるという手応えはいつ頃からあったのでしょうか。

木村●半年後くらいからでしょうか。チームが結成されて開発を始めたのが7月で、12月の末に翌年2月に開催される展示会「東京インターナショナル・ギフト・ショー」に出展申し込みをしたんです。著名アートディレクターさんなどが審査する若手クリエーターのコーナーがあって、10色の試作品を、仮のパッケージで写真を撮って応募したところ、見事審査に通り、その時はじめて製品化の希望が見えてきました。翌1月には「装苑」という雑誌の展示会の出展者情報にも掲載されました。

BIZ●実際の反応はどうでしたか?

木村●2月のギフト・ショーでは予想外の反応となりました。取材担当者が装苑を事前に見てくれていたり、ギフトショーの主催者がプレスリリースで出展者情報を流してくれたこともあって、初日にテレビ東京の「ワールド・ビジネス・サテライト」が来て、次の2日目にNHKの「おはよう日本」が来て、それから取材ラッシュとなりました。ギフト・ショーは3日間あって、ブースにやってくるのはせいぜい500名くらいと予想して、その分のパンフレットと名刺を用意していたんですが、初日の午前中で全てなくなってしまったんです。急いで東京都内の当日印刷で名刺を増刷して、夜に受け取って次の日に挑んだんですけど、次の日も3人ではとても対応できないほどのバイヤーさんが来ました。用意した最初のロットが2000は、あくまでサンプルとして用意してたものでしたが、あっという間に売り先が決まり急遽それを出荷するということになりました。そこではじめて雇用継続ができる見込みができて、2人の雇用継続が決定しました。

BIZ●すごい!シンデレラストーリーですね。

木村●出展前はそこまでの反応を全く予想していなかったので、初回2000のサンプルも当然余ると思っていたし、県の補助事業も終われば2人の雇用が終わるだろうから、自分の仕事にまた戻るのかなっていうイメージをしてたんです。まさかクレヨンが仕事の主流になるとは出展前は思っていませんでした。

BIZ●いかに思いが強くても「いつかこういうことやるぞ」ではなく、9ヵ月でなんとか形にしないといけないという、そこで区切りがあったことが、結果に結びついたのでしょうか。

木村●そうですね。それも大きいと思います。やっぱり計画って大事ですね。「いつまででもいい」となるとたぶんこうならなかったかもしれないですね。

CSR活動の一環として大企業とのコラボ商品や
商品を使ったPRなども

BIZ●ギフト・ショー以降は、これは仕事として、業としてやっていくしかない!と思ったわけですか。

木村●そうですね。注文も入ってましたから。次のロットから万単位で作るようになって、それでもすぐに捌けていくということが何回か続いて、その中で品質改善だったり、新しい色のバージョンだったりを展開しつつ、広げていった感じです。

BIZ●ギフト・ショー当日は東一文具の方もいらしたんですか。

木村●当日展示会に名古屋からいらして、その現場を見てました。「隠れて試作をしていたことが日の目を見た」と言っていただきました。

BIZ●いま会社となっていますがギフト・ショーの後、すぐに法人化されたのですか。

木村●ギフト・ショーが2013年2月で、「おやさいクレヨン」を正式に発売したのは2014年の3月。同じ年の9月に法人化しました。ギフト・ショーの時はフリーランスの個人事業で出展していたので、百貨店とか、法人でなければ取引ができない企業も出てきて、あとは売上規模に合わせて法人格にする必要があるっていうのも知りまして、法人化しました。

BIZ●その後はクオリティを高めながらラインナップを増やすということをされたんですね。

木村●そうですね。同時にやはり改善点も出てくるので改良しつつ。

BIZ●生産量に応じて人も増やしたりする必要もあったかと思いますが。

木村● はい。その時に応じてパートさんをお願いしたりしています。というのも、パッケージの組み立てなどは自社の内部で手作業でやっているので。

BIZ●工場ですべて製品化するのではないんですか?

木村●工場から届くのがクレヨン部分と箱の紙なので、届いたクレヨンを1本1本磨いて入れて箱を折って箱詰めして、出荷する作業をここでやっています。

BIZ●これだけ話題になると大手企業の方から、研究しませんかといった声がかかることもありませんか。

木村● そうですね。最近はCSR活動の一環として、端材とか野菜を使ってクレヨンをつくり、子どもたちの絵画教室を開いて、そこでコンテストを開くなどして、企業としてPRといった依頼が少しずつ増えていますね。

BIZ●こんな野菜の端材を使ってくれないか、という話もありますか。

木村●来ますね。なので今後の課題としては、産地ネットワークを広げる必要があるなと思っています。ただ窓口が増えれば増えるほど管理が大変になるので、それを1元管理できるようにシステム化する必要があると思っています。とくに食品の端材はある地域ではある日突然大量に出るけど、別の地域はちょっとしか出ないとか、全国的にもばらつきが出ますから。仮にそれを冷凍保存するとしても、その冷凍庫はどこにおくとか、冷凍庫があってもそこから工場までの輸送の問題もあります。

ネギ嫌いだった子どもが
おやさいクレヨンで食べられるようになった!

BIZ●単に技術として商品ができたということだけではなく、その管理方法や原料調達のサプライチェーンなど、いろいろなことを考えていく必要があるのですね。ところでお客様から商品を使った印象などは届いてますか?

木村●子どもたちの素直な感想などがよく寄せられます。子どもたちは絵を描く前に見ていると「香りがする」と言って、だいたい匂いを嗅ぐんです。クレヨンに書いてる文字がりんごだったら、なんでりんごなんだろうと素直に感じ取って、りんごの香りがするとか、言ってくれるんですね。本当に香りがしてるかは別ですが。匂いを嗅いで、色を見て、手で感触を確かめて、いろんな感性を使っているようです。

BIZ●aeruさんの話を伺った時、100円ショップで買った容器を使っていたお子さんがaeruの伝統工芸の容器を使うようになったら、食べ残しがなくなったとか。器だけでそんなに変わるんだと思いました。

木村●わかります。たとえばネギが嫌いだった子が、ネギのクレヨンでお絵かきをしたら食べられるようになったという話を聞いたことがあります。そういう意識付け、嫌いな野菜を好きになるきっかけにはなっているようです。野菜って小さい子は嫌いなものの代表ではあるんですが、食べることが楽しいって思うきっかけにはなっているようです。

<後編に続く>

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