COLUMN ビジネスシンカー

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2021.05

ビズシンカーインタビュー
「明日をつくる人」インタビュー【前編】
「おやさいクレヨン」は、
親子の時間をデザインするために
生まれた。

白とグレーの長い青森の冬が
色への欲求を高めていった

BIZ●まず「おやさいクレヨン」をつくろうと思ったきっかけを教えてください。

木村尚子さん(以下木村)●もともとデザインの関係の職場で働いていましたが、当時小学生の娘を1人で育てるという事情もありまして、仕事と家事、育児のバランスを自分で調整できる働き方にしたいと思い、独立してフリーランスのデザイナーとして営業活動を始めたことがもともとのきっかけなんです。

BIZ● それまでは会社に所属していたんですか?

木村●そうです。デザインというよりは、紙面構成をしたりDTPのオペレーターという感覚が強かったんですがどうしても突発的に修正が入ったりして、決まった時間に帰れないことが多かったんです。デザイナーはそういう業種だと親も理解してくれて、子育てを手伝ってくれたのですが、やはり娘が心配というのもあって、独立しました。それが2012年です。自宅の1室でパソコンのマック1台を買って始めましたが、後先考えずにいきなり辞めてしまったの、1ヵ月くらい親にも言えなくて ・・・(笑)。まだスマホがそれほど広まっていなかったので、最初は自分の作品をポートフォリオとしてまとめて紙媒体で持ち歩いて営業していました。飲食店などに飛び込みで営業活動を始めて、売り上げが立つようになり、それまで憧れていてもできなかったプロダクトデザインに挑戦しようお思ったのが、おやさいクレヨン開発のきっかけですね。

BIZ●いきなり辞めるというのは、思い切りがいいですね。

木村●そうですね。逆にそれがよかったと思います。後がないぞって必死に営業せざるを得なかったから。細かい仕事が多かったんですが、それでも塵も積もれば山となるで、なんとか軌道に乗りました。娘と一緒の時間をつくりたいと思って独立したので、娘が帰って来る頃には自宅にいるようにしてました。仕事は夜娘が寝てからしていました。ただ仕事は一旦受けてしまえば、あとはメールでのやり取りで済むので、融通もきくようになって、心の余裕もできていきたこともあります。

BIZ●いきなりクレヨンに挑戦したのですか。

木村●最初は、藍色のインクをつくりたいと思ったんです。たまたま見に行った藍染の展示会で刺激されて。全国の藍染作家の作品が展示されていたんですが、そこで見た藍染の色に感銘を受けたんです。いつも見ているパソコン上のデジタルの色ではない、天然の色にすごく感動して、この色でインクができたらって思いついた。できればカラー展開したいなとも思いました。どうしたらいろいろな色ができるかを考えた時、ほうれん草を茹でた時の煮汁の緑とか日常の料理の色が浮かんだのです。いろいろな野菜の色がシリーズ展開であったらかわいいなあと思って。でもどうしたらいいかわからなかった。それで青森県の工業製品などのフェアなどに顔を出しているうちに、行政の方や6次化支援のアドバイザーの方と知り合って、「相談窓口に来てみてはどうか」と誘われたんです。そうやって何度か足を運ぶようになって、具体的な形になっていきました。

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