COLUMN ビジネスシンカー

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2021.06

アフターコロナ時代を生き抜く技術発想
プリンタとエンジン技術の関係とは・・・
技術の応用力を磨け!
あの技術はこう生かされた!

航空機事業から始まった
スバル

ドイツの高級車ポルシェと同じ独特の水平対向エンジンを開発し、四輪駆動車市場を牽引するスバルの前身は中島飛行機という航空機製造メーカーだった。創業者の中島知久平氏は、もと海軍の軍人設計者で複葉機などを手掛けていた人物。航空機の発展は民間が引っ張るべきとの論から、海軍を辞職し「飛行機研究所」を興し、自ら設計し実作したのだった(1919年に中島飛行機製作所に名称変更)。知久平氏はその資金集めに苦労するも、軍からの需要は絶えず「隼」「疾風」などの戦闘機を生み出している。また計画段階ではジェット戦闘機も手掛けていた。しかし終戦後、GHQの政策により航空機開発ができなくなり、中島飛行機は富士産業に改組させられ、さらに解体を余儀なくさせる。

しかしその後朝鮮戦争特需から、旧中島飛行機グループ集結の動きが起こり、旧6社が出資して新会社富士重工業が発足。航空機の開発製造、自動車の開発製造、電車の開発製造などを行うようになる。ちなみにスバルのマークに輝く「六連星」は、この時集合した旧中島飛行機グループ6社を意味している。

スバルの自動車にはこうした航空機などの技術やノウハウが使われている。とは言え、先進する欧米の自動車に追いつくためには、その技術を見極め習得する必要があった。スバルは戦後ほかの自動車メーカー同様、外国車を分解し、その構造などを徹底して調べた。有利だったのは、エンジンなどの構造を知っていたことで、技術者が自動車全体の構造を理解し、開発できたことだ。

こうした技術とノウハウが‘‘てんとう虫‘‘の愛称で呼ばれる「スバル360」などのユニークな形状の軽乗用車や先進的な水平対向エンジンを載せたレガシィなどを生み出す源泉となった。

スバルの前身の中島飛行機が開発した技術は、スバルのみならず他メーカーにも大きな影響を与えている。中島飛行機は第二次世界大戦前から戦中にかけて、世界初のアルミ合金による計量低燃費エンジン「栄11型」をを開発しており、これを三菱重工業が開発した零戦に採用している。さらにこの技術は、戦後ホンダが開発した軽スポーツカー「N360」の軽量エンジンに使われている。

日本の自動車産業は、戦後目覚ましい発展を遂げたが、その要因には戦前より航空機開発に関わったエンジニアや研究者の多くが自動車産業に吸収されていったことも大きい。日本の自動車産業には航空機づくりのノウハウが詰め込まれているのだ。

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