COLUMN ビジネスシンカー

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2021.09

混迷を深めるVUCAの時代だからこそ。 知っておきたい
「大人の義賊史」

ハプスブルク帝国の圧政が生んだ“農民独身者”「ベチャール」

たとえばハンガリーの隣国、ブルガリアの教科書には義賊の活動が大きく割かれている。オスマン軍の進出で弱体化したブルガリアでは、役人や領主たちの搾取に対する反抗をハイドゥティたちが繰り返すようになり、オスマン軍の護衛で移動する官吏たちに不意打ちを食わせたとある。その数も10〜20人の集団から400〜500人の集団と肥大し、やがて民族運動、「ハイドゥティ運動」に結びついていった。

一方ハンガリーでは、オスマン帝国が衰退すると代わりにオーストリアに拠点を置くハプスブルク家が支配するようになる。この動きに領主や地方官吏は従うが、次第に商品経済が発展すると領主たちは農民に対して税や商品の献上比率を上げていった。さらに領主たちは、農民たちが慣行として利用してきた土地を取り上げ、放牧地を奪って耕地にしたりするなど、農民をさらに追い立てていった。加えて兵役や兵士への宿泊提供など、新たな負担も加わっていくと、これに反発を覚えた農民兵士が次々に農地を離れ、義賊化していった。

彼らはハイドゥクではなく、「ベチャール」と呼ばれた。ベチャールとは英語で言うところのバチェラー、すなわち「独身の若者」を意味し、やがてそれが「独身の日雇い」と変わっていき、さらに日雇いからその活動に入ることが多い義賊を意味するようになった。

つまりハイドゥクとして農地を離れた農民騎士が、いわば"一周回って"再び農民騎士として活動するようになったのがベチャールなのである。

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