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マーケティングの基礎 その4「なぜ売れないのか」の答えは、たいてい商品の外にある

 老舗漬物メーカー山田食品の山田社長は、ついに3ヵ月前からECサイトを開設し、Instagramを始めた。インスタのフォロワーは300人になり、週に数件の注文が来るようになった。しかし山田社長の顔は浮かない。
 「はたして現状は成功しているのだろうか。はたまた失敗しているのだろうか。広告費にも少しお金をかけたが、元が取れているのかさっぱりわからない─」。
 この悩みは、マーケティングに取り組み始めたほぼすべての企業が直面するのだ。「やっている」と「成果が出ている」は別物だからだ。
 成果を正確に判断するためには、「測る」ということが必要となる。
 今回は、その「測り方」の考え方と、実際に使える目安を、具体的な事例とともに解説しよう。

■「お店の体温計」KPI─打った施策の成果を数字で見る

 「お金や手間をかけたことが、果たして成果となって現れているのだろうか─。その成果の判定に使われるのがKPIだ。「Key Performance Indicator」の略で、「重要業績評価指標」と訳される。
 難しく聞こえるが、要は「うまくいっているかどうかを判断するための数字」だ。
 KPIは体温計に例えるとわかりやすいだろう。人間の体の状態を確認したいとき、顔色を見るだけでは限界がある。体温計で数字を測れば「37.5度か、少し熱があるな」と客観的に判断できる。KPIはいわばマーケティングの「体温計」だ。
 KPIがない状態でマーケティングをすることは、体温計なしで患者を診るようなものだ。「なんとなく良くなっている気がする」「なんとなく効果がある気がする」という感覚だけで意思決定をすることになる。

■測る前に「何を目指しているか」を決める

 KPIを使う前に、押さえておくべきことがある。「何を目標にするのか」という目標の数値の設定だ。
 体温計の例で言えば「平熱36.5度」という目標があるから、37.5度という数字が「高い」と判断できる。目標がなければ37.5度が問題なのかどうかもわからない。
 山田社長の場合、「半年後にECサイトからの売上を月30万円にする」という目標があれば、現在の「週に数件の注文(おそらく月5~10万円程度)」という数字が目標に対してどのくらい進んでいるかが判断できる。
 目標設定の際に役立つ原則が「SMART」だ。
 これはSpecific(具体的に)・Measurable(測定できる)・Achievable(達成可能な)・Relevant(関連性がある)・Time-bound(期限がある)の頭文字を並べたもので、この5つの目標を明確化することで、KPIが実際に機能する。
 山田食品の具体的な状況で確認してみると下のような表となる。
 この表を見て改めて気づくことがあるかもしれない。悪い例には「頑張る」「改善する」「なるべく早く」といった姿勢や思いを表明した言葉が入っている、ということだ。
 デフォルメした例と思えるだろうが、「悪い例」に挙げたような目標は、結構日本の企業の多くが日常的に設定しているものだ。

要素意味悪い例(山田食品)良い例(山田食品)
S
Specific
具体的に
何を・どれだけ、が明確かECを頑張る
(何が頑張るのか?どれだけ?)
ECサイトの月間売上を30万円にする
(対象と数字が明確)
M
Measurable
測定できる
達成したかどうか数字で判断できるかお客様に喜ばれる商品にする
(「喜ばれる」は数字にならない)
・購入者アンケートで「この糠漬けを友人に薦めたい」と答えた人が現在40%→60%になる
・2回以上購入する割合(リピート率)を 30%から40%に上げる
A
Achievable
達成可能な
現状から見て挑戦的だが実現できる範囲か3ヵ月でフォロワーを5万人にする
(現状300人→166倍は非現実的)
6ヵ月でフォロワーを1,500人にする
(月200人増、週3投稿で実現可能な水準)
R
Relevant
関連性がある
事業の現段階の目標と直結しているか全国の漬物メーカーの中で知名度No.1になる
(今の段階では非現実的)
腸活志向の30~50代へのEC売上を月30万円にする
(ターゲット戦略と直結)
T
Time-bound
期限がある
「いつまでに」が決まっているかなるべく早くEC売上を増やす
(「なるべく早く」は期限ではない)
2026年3月末までにEC月間売上30万円を達成する」
(具体的な日付)

 「頑張る」「改善する」「なるべく早く」――こうした言葉が入った目標は、実際には目標ではなく「気持ちの表明」に過ぎないので、KPIが設定できないし、そこからふんわりと出されたKPIでは何も測れない。
 いかに条件を設定し、数値化できるようにすることが重要だ。この5つの条件の中でとくに重要なことは「Relevant(関連性がある)」ことだ。どんなに具体的で測定可能で達成可能な目標でも、今の事業の優先課題と結びついていなければ意味がない。
 山田食品が今すべきことは「全国知名度No.1」ではなく「腸活志向の30~50代において、ECサイトで月商30万円獲得すること」にある。現段階の戦略と直結した目標を立てることが、SMARTの本質だ。

■マーケティングの主要KPIと実例

 では具体的にどんな数字を測ればいいのだろうか。マーケティングでよく使われる主要KPIを、実例とともに解説しよう。

①顧客獲得コスト(CAC)─ 一人の新しいお客様を呼ぶのにいくらかかったか
 CACとは「Customer Acquisition Cost」の略。「新規顧客一人を獲得するためにかかった費用」のことだ。
 計算方法は単純だ。「ある期間のマーケティング費用の合計÷ その期間に獲得した新規顧客数」だ。
〈山田食品の例〉
●Instagram広告費:月2万円
●ECサイト維持費:月5,000円
●合計マーケティング費用:月25,000円
●その月に初めて購入した新規顧客:10人
●CAC(顧客獲得コスト)=25,000円÷10人=2,500円/人
 つまり「一人の新規顧客を呼ぶのに2,500円かかっている」ということ
 この2,500円が高いか安いかは、次のLTV(顧客生涯価値)との比較で判断する。

②顧客生涯価値(LTV)─ 一人のお客様が生涯に使ってくれる金額
 LTVは「Life Time Value」の略で、「一人のお客様が、最初に購入してから最後に購入するまでの間に合計いくら使ってくれるか」を指す。
〈山田食品の例〉
●平均購買単価:2,000円(送料込みで一回の注文が2,000円)平均購買頻度:月1回(毎月リピートしてくれる)
●平均継続期間:3年間(3年間ずっと買い続けてくれる)
●LTV=2,000円×12回×3年=72,000円
 つまり「一人のお客様は生涯で7万2千円使ってくれる」ということ
 先ほどのCACが2,500円で、LTVが72,000円なら―2,500円を使って72,000円稼げる計算だ。これは良い状態だ。
 マーケティングの世界では「LTVはCACの3倍以上が健全」という目安がよく使われる。山田食品の場合、2,500円×3倍=7,500円以上のLTVであれば投資として成立する計算になる。実際に72,000円なので、このマーケティング投資は十分に回収できる。
 逆に、CACがLTVを上回っている状態は「お客様を一人呼ぶ度に赤字になっている」ということだ。どれだけ新規客を増やしても、会社の体力が削られていく。この状態でマーケティング予算を増やすことは、赤字を拡大させるだけとなる。

③リピート率─2回目以降も買ってくれる割合
 一度買ってくれたお客様が、2回目以降も継続して購入してくれる割合がリピート率だ。
〈山田食品の例〉
●ある月に初めて購入した新規顧客:10人
●翌月にもう一度購入した人:4人
●リピート率=4人÷10人=40%(ECサイトでは30~40%以上が概ね健全とされる)
 リピート率が低い場合、問題は2つ考えられる。「商品の質に満足していない」か「次に購入するきっかけがなかった」かだ。後者であればメールマガジンやSNSでの継続的な情報発信が解決策になる。
 前回の話で触れた「LTV:CAC比率が3:1以上」という目標は、リピート率を上げることで達成しやすくなる。新規顧客を増やすことより、既存顧客にもう一度買ってもらうことの方がコストは低い。コトラーは「新規顧客を獲得するコストは既存顧客を維持するコストの5倍かかる」と述べた。リピート率の改善は、費用対効果の高いマーケティング施策だ。

④転換率(CVR)─見た人のうち、実際に買った人の割合
 ECサイトに100人来訪して3人が購入すれば、転換率(CVR=Conversion Rate)は3%だ。
〈山田食品の例〉
●ある月のECサイト訪問者:300人。そのうち実際に購入した人:9人転換率=9人÷300人=3%
●業界平均:食品・飲料のECで1~3%が一般的な水準
 転換率が低い場合、いくら広告費をかけてサイトへの訪問者を増やしても、購買につながらない。まずサイト内の改善―商品説明が不十分ではないか、写真が魅力的か、注文ボタンがわかりやすいか、送料の表示が明確か―を確認することが先決だ。転換率を1%から2%に改善するだけで、同じ広告費で売上が2倍になる。

⑤NPS(ネット・プロモーター・スコア)─お客様がどれだけ人に薦めたいか
 NPSは「Net Promoter Score」の略で、「友人や知人にこの商品・会社を薦めたいと思いますか?」という一問で顧客満足度を測る指標だ。0~10点で答えてもらい、9~10点をつけた「推奨者」から0~6点をつけた「批判者」の割合を引いた数字がNPSだ。
〈山田食品の例〉
●アンケート回答者:50人
●9~10点をつけた人(推奨者):20人→40%
●0~6点をつけた人(批判者):5人→10%
●NPS=40%-10%=+30
●目安:50以上が優良、70以上が卓越。日本企業は平均が低め(20~40台が多い)
 NPSが重要な理由は、SIPSの時代に直結するからだ。「友人に薦めたい」という気持ちが強いお客様が多いほど、口コミが広がり、広告費なしで新規顧客が増える。NPSを定期的に測ることで、「お客様は満足しているか」の客観的な指標が得られる。
 NPSが低い場合、その原因を「批判者」に直接聞くことが重要だ。「なぜ点数が低かったのか」を聞くことで、改善すべき点が見えてくる。これは次の商品開発や接客改善の最も価値ある情報源だ。

⑥ SNSの「投稿反応率」─ 100人が見て、何人が動いたか
 SNS投稿の「効き」を測る指標だ。仕組みはシンプルで、「投稿を見た100人のうち、“いいね”“コメント”“保存”“シェア”など何らかの反応をした人が何人いたか」を割合で表したものだ。マーケティングの世界では「エンゲージメント率」と呼ばれるが、要は「反応の強さ」を示す数字だ。計算式は以下のようになる。
「投稿への反応数の合計÷フォロワー数×100(%)」
〈山田食品のInstagramの場合〉
●フォロワー数:300人
●ある投稿の反応数:いいね15件+コメント3件+保存6件=合計24件
●投稿反応率=24÷300×100=8%
 Instagramの業界平均は「フォロワー300~1,000人規模のアカウントで3~5%」とされるから、山田食品の8%は平均より高い。内容がフォロワーに響いているサインだ。
 この数字が重要な理由は、フォロワー数という「見た目の大きさ」では測れない「関心の深さ」を示すからだ。フォロワーが1万人いても、投稿への反応が0.1%(10人しか反応しない)なら、実際には9,990人には素通りされている。逆にフォロワーが300人でも8%(24人が反応)なら、投稿を見た人のうち相当な割合が関心を持っている。

 特に注目したいのが「保存」という反応だ。「いいね」はスクロール中に指が動く軽い反応だが、「保存(ブックマーク)」は「後でもう一度見たい」「これを参考にしたい」という明確な意志がある。保存した人は、後日購入を真剣に検討する可能性が高い。投稿反応率を見るとき、「いいねの数」より「保存の数」に注目するのが実践的だ。
 投稿反応率が低い場合に確認すべきことが2つある。
 1つは「投稿の内容がフォロワーの関心と合っているか」だ。腸活に関心を持つフォロワーが多いのに、毎回「道の駅のイベント情報」を投稿しても反応は薄い。もう1つは「フォロワーの質」だ。プレゼント企画などで集まったフォロワーは、商品には関心がないことが多く、反応率を下げる。フォロワー数を増やすより、「本当に糠漬けや腸活に関心がある人」にフォローしてもらうことの方が、長期的には売上につながる。

■数字の向こう側─SNS疲れと「質を追う」視点

 InstagramのフォロワーがXX万人、TikTokの再生数がXX万回―SNSの世界では、こうした「大きな数字」が成功の象徴とされてきた。しかし今、この考え方に静かな見直しが起きている。
「SNS疲れ」という言葉が広がっている。発信する企業側だけでなく、受け取る消費者側にも「飽き」「不信」「選別の目」が生まれている。毎日大量のコンテンツが流れてくる中で、消費者のフィルターは確実に厚くなっている。フォロワーが多くても「投稿を見ても誰も反応しない(いいねもコメントも保存もされない)」アカウントが増えているのは、「とりあえずフォロー」から「本当に関心がある発信だけを追う」という消費者の行動の変化を反映している。
 では何を見るべきか。数字の「量」よりも「質」だ。
 たとえばInstagramの「保存(ブックマーク)」数は、いいねより深い関心を示す。「いいね」はスクロールしながら一瞬で押せるが、「保存」は「後でもう一度見たい」「使いたい」という意志が伴う行動だ。山田食品が「今日の糠床の様子」を投稿したとき、いいねが30でも保存が15あれば、それは質の高い関心だ。保存した人はいずれ「買うかどうか」を本気で検討する候補者になりうる。
 コメントの内容も同様だ。「美味しそう!」という一言コメントが100件より、「祖母が昔同じように糠漬けをつくっていた、懐かしい」という記憶と感情が込もったコメントが3件あるほうが、ブランドへの深い共鳴を示している。前回(第3回)のSIPSの話に引き戻せば、「共感(Sympathize)」が本物かどうかを見分けるのは、数の多寡ではなく、言葉の深さだ。
 さらに言えば、SNSに現れない反応も重要だ。「道の駅でこれを見て買ったが、SNSには書かなかった」という人は、投稿する人の何倍も存在する。ECで購入したが特にコメントはしない―というサイレントなリピーターこそが、売上の大半を支えていることも多い。「数字に見えない反応」を大切にするために、前節で述べたNPSアンケートやリピート率の追跡が重要になってくる。
 SNS時代に本当に強いブランドは、量を追いながら質を守る。量だけを追うと、フォロワーは増えても買い手は増えないという空洞化が起こってしまう。
 量と質の見方のポイントは次のとおりだ。

「量の指標」と「質の指標」─ 両方を見る
量:フォロワー数、いいね数、再生数、インプレッション→到達範囲(どれだけ多くの人に届いたか)を示す。
質:保存率(後で見返したい人の数)、コメントの深さ、DM(ダイレクトメッセージ)数、リピート購入率→共感の深さ(どれだけ本気で関心を持たれたか)を示す。

■リアル店舗に漂う「気配」─数字にならない購買の引力

 マーケティングの分析が精緻になればなるほど、逆説的に見えてくることがある。「人が買うかどうかは、数字で割り切れない何かが決めている」という現実だ。
 リアル店舗に足を踏み入れた瞬間、人は無数の情報を無意識に受け取っている。照明の明るさと色温度。流れている音楽のテンポ。漂ってくる香り。陳列の高さと密度。他の客の数と動き方。スタッフが最初に発した一言の声のトーン―これらは誰も「意識して確認しよう」と思わない要素だが、すべてが複合して「この店に居たい」か「早く出たい」かを決めている。
 第3回でカーネマンのシステム1の話をした。ここで簡単に振り返っておこう。カーネマンは人間の判断を2種類に分けた。
 1つが「システム1」——瞬時に、感情と直感で動く無意識の判断だ。スーパーの棚の前で3秒で商品を選ぶとき、道の駅に入った瞬間に「この店、なんかいい感じ」と思うとき、これはシステム1が動いている。
 もう1つが「システム2」——時間をかけて論理的に考える意識的な判断だ。「原材料を比べてどちらが健康的か」と熟考するのはシステム2だ。
 購買決定の大半はシステム1が担っており、感情・記憶・身体的感覚に基づく瞬時の反応で決まる。リアル店舗の「気配」はまさにシステム1に直接語りかける。どんなに優れた商品説明も、店内の空気が「なんとなく入りにくい」「居心地が悪い」という感覚を上書きすることはできない。
 Apple Storeが世界中で成功している理由の1つは、「商品を端に置かない」という設計だ。入口から奥に向かって歩くほど、より多くの製品に触れる機会が生まれる。レジカウンター(Genius Bar)は最奥にある。消費者は「用事を済ませる」ために来るのではなく「歩きながら体験する」ために来る空間設計だ。
 蔦屋書店が「本を売る場所」ではなく「ライフスタイルを提案する場所」として機能しているのも同じ原理だ。調理家電の横に料理本が置かれ、旅行書の近くにスーツケースが並ぶ。「その商品が使われる文脈の中に商品を置く」という設計が、「なんとなくここにいると豊かな気分になる」という感覚を生み、それが購買につながる。
 山田食品の道の駅の売り場に置き換えて考えてみよう。糠漬けが薄暗い棚の奥に並んでいるのと、「今日の糠床」という手書きのPOPが添えられ、試食ができる小皿が置かれているのでは、同じ商品でも受け取られ方が根本から違う。糠床特有の発酵の香りがほんのり漂っていれば、それだけで「本物だ」という印象が無言で伝わる。
 リアル店舗のマーケティングでは、「売り場の気配を設計すること」がKPIと同じくらい重要な仕事だ。しかし「気配」は数字に表れにくい。だからこそ、経営者やスタッフが定期的に「客として」自分の店に入ってみること――その「最初の3秒で何を感じるか」を言語化することが、改善の出発点になる。

■購買は「その日の気分」が決める─分析が明かす複雑さ

 マーケティング分析を深めるほど、もう1つの真実が見えてくる。「同じ人が同じ商品を見ても、その日の状態によって買うかどうかが変わる」という事実だ。
 雨が降っている月曜日の朝、疲れた状態で道の駅に立ち寄った人と、晴れた土曜日の昼、気分よく家族と観光に来た人は、同じ山田食品の糠漬けを目の前にして、まったく違う心理状態にある。

 前者は「今日は荷物が増えるのが面倒だ」という心理が働き、後者は「せっかくだから本物のものを買っていこう」という気持ちになりやすい。商品も価格も変わっていない。変わったのは「その日の人の気分」だ。
 カーネマンはこれを「認知的負荷(Cognitive Load)」と関連づけた。疲れているとき・ストレスがあるとき・時間がないとき、人は新しいものへの好奇心が下がり、「いつものもの」「安全なもの」を選ぶ傾向が強まる。逆にリラックスした状態・余裕があるとき・好奇心が高い状態では、新しいブランドや高い商品に挑戦しやすくなる。
 さらに「プライミング効果」という現象がある。店に入る直前に何を見たか・聞いたか・感じたかが、無意識に購買行動を左右するという現象だ。道の駅に来る前に「腸活特集」のテレビ番組を見てきた人は、糠漬けの説明に反応しやすい。来店前に渋滞でイライラしていた人は、少しの「つっけんどんな対応」で購買意欲が急速に下がる。これらはすべて「その日の文脈」が購買に与える影響だ。
 もう1つ、カーネマンが発見した「ピーク・エンドの法則」がある。人は体験全体を平均して記憶するのではなく、「感情が最も動いた瞬間(ピーク)」と「最後の瞬間(エンド)」の印象で体験を評価するという法則だ。
 山田食品の売り場で言えば、試食した瞬間に「これは本当に美味しい!」という感動(ピーク)があり、レジで「ありがとうございます、また来てください」という温かい声かけ(エンド)があれば、道中がどんなに疲れていても「良い買い物をした」という記憶が残る。逆に商品は良くても、最後の対応が無愛想なら「なんとなく良い印象ではなかった」という記憶になりやすい。

ピーク・エンドの法則の実践─ピーク(感情が最も動く瞬間)を設計する方法
例:試食で「これが40年の糠床の味か」と感動させる一口
例:ECで「開封したとき」の丁寧な梱包と手書きのメッセージカードエンド(最後の接点)を温かくする
例:道の駅での「またお待ちしています」という言葉と笑顔
例:ECで購入後に届く「ありがとうございます」メールのトーンと内容

 消費者が覚えているのは「平均」ではなく「ピークと最後」だ。
 このように分析すればするほど、購買決定は複雑だとわかる。KPIは重要だ。しかしKPIが測れるのは「起きたこと(結果)」だけであり、「なぜ起きたか(原因)」の多くは、その日の気候、気分、文脈、偶然の出会いの中にある。
 だからこそ伝えておきたいことがある。
 「すべての接点を、できるだけ良い状態に保ち続けること」が、最強のマーケティングであるということ。
 どの日のどのお客様が「決め手の体験」をするかは予測できない。しかし、毎日の糠床のケアを怠らず、売り場を整え、試食を切らさず、スタッフが笑顔で対応し続けること―その積み重ねがいつか「あのとき山田食品の糠漬けを買った」という記憶を大切な人への贈り物の源泉にする。
 マーケティングはデータだけでは完結しない。データと感覚、分析と現場の気配―この両輪で走ってはじめて、本物のマーケティングになる。

参考
【書籍】●『はじめて学ぶ マーケティングの本』安田貴志[日本能率協会マネジメントセンター] ●『マーケティングで面白いほど売上が伸びる本』市川晃久[あさ出版] ●『マーケティングの基本とコツ』安原智樹[学研] ●『もっと早く受けてみたかったマーケティングの授業』伊東直哉(著)/内田学(監修)[PHP 研究所]●『コトラーのマーケティングコンセプト』大川修二(訳)/恩藏直人(監訳)[東洋経済新報社] ●『コトラーに学ぶマーケティング』白井義男(監修)[イースト・プレス]
【WEB】●『フルウチ式マーケティング概論』[note.com]ほか

POINT
■SMARTな目標とは「Specific(具体的)・Measurable(測定できる)・Achievable(達成可能)・Relevant(関連性がある)・Time-bound(期限がある)」の5条件を満たすもの。「頑張る」「なるべく早く」という言葉が入った目標はSMARTではない
■悪い目標の典型:「ECを頑張る」「知名度を上げる」。良い目標の典型:「2026年3月末までにEC月間売上を30万円にする(腸活志向の30~50代ターゲットで)」
■SNS疲れの時代に重要なのは「量(フォロワー数・いいね数・再生数)」より「質(保存率・コメントの深さ・リピート購入率)」。1,000人がスクロールしてスルーするより、10人が保存して本気で検討する方が、売上につながる可能性が高い
■「保存(ブックマーク)」はいいねより深い関心を示す。保存した人は後に本気で購買を検討する候補者だ
■リアル店舗の「気配」――照明・香り・音楽・スタッフの声のトーン――はシステム1(無意識の判断)に直接語りかける。商品説明よりも先に、空間の印象が購買意欲を決める
■ピーク・エンドの法則:人は体験全体の平均ではなく「最も感情が動いた瞬間」と「最後の接点」で記憶を形成する。試食の感動とレジでの一言が購買後の印象を決める
■購買は「その日の気分・疲労度・直前の文脈」に影響される。「いつ誰が決め手の体験をするか」は予測できない。だからすべての接点を毎日良い状態に保つことが最強のマーケティングだ
■マーケティングはデータと感覚の両輪で走る。KPIで結果を測り、現場の「気配」で体験を磨く――この往復が本物のマーケティングだ

ビジネスシンカーとは:日常生活の中で、ふと入ってきて耳や頭から離れなくなった言葉や現象、ずっと抱いてきた疑問などについて、50種以上のメディアに関わってきたライターが、多角的視点で解き明かすビジネスコラム

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