COLUMN ビジネスシンカー

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2022.02

現代の参謀はAIか?!
テクノロジー万能時代に見直しておきたい
戦国時代の名参謀の「仕事」と「資質」

互いの利害の落とし所を見極め、
無駄な争いを避けさせた今川義元の参謀、
太原雪斎

最高の戦略は戦いをしないことだといわれるように、そもそも名軍師や名将は無益な争いはしなかった。その好例が今川義元の参謀、建仁寺の僧侶、太原雪斎である。当時義元は武田信玄軍と同盟を組み北条氏康と戦を交えていた。義元の目的は上洛し、室町幕府を再興することにあったため、できればこの戦いは避けたいところ。雪斎は義元に氏康と和睦すべしと、進言する。

上洛を目指す義元に対して、氏康の狙いは関東で、京は狙っていない。一方武田にとって最大のライバルは越後の上杉謙信。時折関東にも切り込む謙信は、氏康にとってもライバルとなっていた。そこを読んでいた雪斎は、互いの究極の目的のためには、目先の戦いを避けて手を結ぶべきと考え、武田、今川、北条の三国同盟を実現させたのである。

三者の思惑を読んだ雪斎は、まず和議に関して信玄の同意を得、次に氏康の合意を取り付けた。謙信との戦に専念したかった氏康は、和議を受け入れることで面目を保つことができた。その後雪斎は駿河の善得寺に三名を招き、それぞれの領地である駿河、相模、甲斐を不可侵とすることを決めさせた。さらに氏康の娘が義元の嫡男に嫁ぐことが決まり、信玄の娘も氏康の嫡男に嫁いでいる。無益な戦いをしないためにも、参謀は情報収集力を磨き、ネットワークを広げ、交渉力をつける必要があったのだ。

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