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日本人必読の人口増加戦略 イスラエルの移民政策とイノベーション

 イスラエルというと、日本とは縁遠い中東の国……そんなイメージを抱く人が多いのではないだろうか。実は現在のイスラエルは世界のトップを走るハイテク国家の顔を持ち、日本との関係が深まっている国の1つだ。
 イスラエルは第2次世界大戦後に成立し、そこからわずか75年で世界トップのハイテク国家に上り詰めた。
 第2次世界大戦で敗戦し、焼け野原となった日本が世界第2位のGDPを有する経済大国まで発展し、世界から「奇跡」と賞賛されたが、イスラエルの発展ぶりはその奇跡をも上回っている。高い経済成長もさることながら、人口減少で悩む諸外国を傍目に人口を増やし続けてきたからだ。建国時60万人だった人口は933万人(2021年)まで増えている。その建国の特殊性を割り引いても、人口減少に悩む日本に参考になることは非常に多い。

世界中のグローバル企業が
イスラエル詣で

 イスラエルに対して日本企業の投資が増加している。2021年、日本からイスラエルへの投資額が過去最高の29億4,500万ドルとなった(イスラエル・ハレル・ハーツ・インベストメント・ハウス調べ)。前年の2.9倍である。イスラエルが持つ高い技術開発力を見込んでの投資だが、その多くが半導体や医療などのハイテクベンチャーの買収だ。不動産や金融ファンドなどの黒字を出していないスタートアップもある。
 たとえば「旭化成」は子会社を通じて、イスラエルの医療機器メーカー「イタマー・メディカル」社を5億3,800万ドルで、「ルネサスエレクトロニクス」はWi-Fiソリューションプロバイダーの「セレノ・コミュニケーション」社を3億1,500万ドル、オリンパスは医療機器メーカー「メディテイト」社を2億6,000万ドルで買収している。いずれも日本の大企業による大型買収案件である。
 日本企業のイスラエル企業への投資が増えたのは2015年以降。前年に相互関係を強化する「日本・イスラエルの共同声明」が発表されたのを機に、投資や協業が増えていったが、一気に規模が拡大したのは17年に「田辺三菱製薬」が11億ドルで製薬ベンチャーの「ニューロダム」社を買収してからだ。 同社はパーキンソン病の画期的な治療薬を開発しており、ニューヨークの新興市場のNASDAQにも上場していたが(買収終了で取引停止)、1度も黒字化していない。
 協業のケースも増えている。2015年に5件だった協業はコロナ前の19年に44件に増え、その後コロナ禍で一度は落ち込んだが21年に42件と復活してきている。
 日本だけではない。今、アメリカやドイツ、中国など世界のグローバル企業がイスラエル企業に熱視線を向けている。

「インテル」を虜にした
イスラエル人たちの開発力

 最大の理由はその技術開発力にある。イスラエルは世界一のスタートアップネーションと呼ばれている。人口10万人あたりのユニコーン企業(創業10年以内で10億ドルの評価額を持つ企業)の数ではアメリカの7.52を抜く8.09で世界一となっている。つまり新しい技術、ビジネスを生み出す力が強力なのである。
 その実力をまざまざと見せつける”事件”があった。
 2017年、「インテル、入ってる」のCMで知られるアメリカの半導体メーカー「インテル」社が、イスラエルの自動運転システム会社、「モービルアイ」を約153億ドル(日本円で1兆7400億円)という巨額を投じて買収したのである。モービルアイは、2014年にニューヨーク証券取引所のNASDAQ(ナスダック)に上場していたが、この買収で上場を廃止する。
 そしてコロナ禍の22年10月、インテルはモービルアイをNASDAQに再上場させた。すると株価は公開価格を上回り、時価総額約230 億ドルとなったのだ。インテルの目利きの良さと、イスラエルベンチャーの底力を見せたと言っていい。
 実は買収したインテルもイスラエルゆかりのアメリカ企業である。インテルは世界中にパーソナルコンピュータ(PC)を広げた立役者の一社であり、ITの世界を一変した企業でもある。その社長、CEOを務めたアンドリュー・グローブ氏はハンガリー出身のユダヤ人で、インテルの3番目の社員だ。グローブ氏が社長時代の1979年にインテルは16ビットの画期的な「8088チップ」を開発したが、これがIBMの家庭向けコンピュータに採用されると、インテルは世界的半導体メーカーとして飛躍する。
 この8088チップを開発したのがイスラエルのハイファにある研究所のチームだった。ハイファ研究所は、1974年に5人のチームで立ち上がってから、79年にその開発に成功、存在感が一気に増す。
 インテルがイスラエルに研究拠点を置くきっかけとなったのが、インテルのカリフォルニア研究所に勤めていたイスラエル人、ドブフ・ローマン氏が「EPROM」という半導体メモリを発明したことだった。電源を切っても記録内容が消えないメモリで、強い紫外線を当てると書き込み内容を消去できるという画期的な発明だった。ほかにもインテル社内ではイスラエル出身者が次々と新技術を発明していたため、イスラエルに研究拠点を置くことが決まったのである。
 その後、インテルは立て続けに革新的なプロセッサを開発し続けたが、そのほとんどがイスラエル研究所から生まれた。
 とくにイスラエル人の独創性を際立たせたのが、2003年に発表された「セントリーヌ」である。従来、半導体は高性能を追求すると18ヶ月で2倍に高集積化するという「ムーアの法則」と呼ばれるセオリーに従って開発が進められてきた。高集積化によって低価格が実現されてきたが、あるとき消費電力の壁にぶつかった。高速化させると消費電力も上昇し、発熱量が増える。ファンのついた筐体のパソコンなら対応もできるが、薄くコンパクトなノートPCでは、ファンの入る余地はないからだ。この問題に対して、インテルイスラエルのロニー・フリードマン氏が打ち出したアイデアは斬新だった。もっともエネルギー消費を左右するチップのクロック数を上げずに処理速度を高めるアーキテクチャを考えたのだ。ちょうど自動車の変速機のように、エンジン回転数を上げることなく、減速機のギアを切り替えることでスピードを上げていくのだ。
 セントリーヌはたちまち世界中から引く手あまたとなり、インテルの発展に大きく貢献した。
 こんにちインテルのイスラエル研究所は工場も加わり、実に1万2000人が働き、3万人の間接雇用を生み出すまでとなった。

グローバルIT企業の
研究所集積都市「ハイファ」

 ロニー・フリードマン氏のような人材はイスラエルにはゴロゴロいて、彼らがイスラエルの電子産業を世界的にも抜きん出たものとした。過去40年ほどでイスラエルで生産されたプロセッサは約10億個と言われる。
 その生産の中心となっているのがイスラエルのハイファで、同市にはインテルのほかマイクロソフトやグーグル、「アップル」、「IBM」などアメリカIT企業や中国IT企業など世界的大企業が300社ほど集まっている。
 これら企業の進出理由は明確だ。イスラエルでイノベーションの種を見つけてもらうことだ。IT人材の豊かさではインドや中国もひけをとらない。実際たとえばOSの巨人、「マイクロソフト」は中国やインドにも世界的研究所を置いているが、中国とインドは人件費の安さがその設置理由となっている。対してイスラエルはアメリカより人件費が高いものの、それ以上に伸びしろのある優れた人材が多いというのが理由だ。
 つまり世界的IT企業の目利きから見ても、イスラエルという国はイノベーション人材の宝庫なのである。なぜイスラエルにイノベーティブな人材が多いのか。よくイスラエル人は「0から1を生み出すことが得意」だと言われる。対して日本人は「1を100にすることが得意」と言われるが、この「0から1を生み出す力」を培った背景には、イスラエルという国家が成立するまでのユダヤ人の苛烈な歴史がある。

驚異のGDP成長、
それを上回る人口増

 イスラエルは紀元前18世紀頃に現在の地に祖先のユダヤ人が生まれた。ユダヤ人はその後エジプトの奴隷となり、ローマ帝国に支配され、神殿を破壊されて以降、世界中に離散して移り住むことになった。そして実に2000年以上の「ディアスポラ(離散)」の歴史と現代の悲惨なホロコーストを経て、1948年になってようやく自分の国家を持つことになる。
 2000年以上も世界に散らばり、殺戮や迫害を受けながら、自らの国家を持つことを切望し続けたユダヤ人にとって、家や財産を奪われても残るものは知識であった。知識があれば、どんな場所でも0から新しい価値を生み出すことができる。
 その信念が現代イスラエルを作り上げた。
 前述したようにイスラエルは戦後の1948年に建国された。国土はおよそ2万2000平方キロメートル。日本の四国の1.2倍ほど。そこに約900万人の神奈川県より30万人ほど多い930万人が住んでいる。
 1970年に約422億ドル だったGDPは、2021年に3,737億ドルまで拡大した。この驚異的な拡大を実現したのは、イスラエル人の開拓者精神と、なんとしても豊かになりたいという情熱と忍耐力であることは間違いないが、他国にない圧倒的な人口増に負うところが大きい。
 建国時、イスラエルの人口は約60万人だった。それが75年を経て15倍以上に増加しているのだ。単純計算で毎年11.6万人が増えて続けた。戦後の日本でも急激な人口増があったが、それは自国民内での妊娠・出産という数の増大だ。しかしイスラエルの場合は、海外からの移民がほとんどだった。
 2000年の時間を経て悲願を達成したユダヤ人は、その後も世界中に離散していた同胞のユダヤ人を積極的に呼び寄せる。建国の2年後の1950年には「帰還法」を制定、ユダヤ人である限りイスラエルに移住すべきとし、その市民権を保証した。ただ同時にユダヤ人であるとはどういうことかという議論が湧き上がり、54年、70年に帰還法が改定されている。70年の改定では、祖父母がユダヤ人であったり、結婚相手がユダヤ人である場合も本人を市民として受け入れることになった。ユダヤ人の範囲が広がったのである。

テクノロジー立国イスラエルを支えた
旧ソ連ユダヤ人

 また人口増の経緯をみていくと、1993年ノルウエーのオスロにおいて、アメリカの仲介でパレスチナ解放機構(PLO)とイスラエルとで交わされた「オスロ合意」によって、それまで敵対していた周辺のアラブ諸国によるイスラエルに対する経済制裁、いわゆる「アラブボイコット」が緩和されたことも大きい。この合意で、とくに旧ソ連とワルシャワ条約機構の加盟国にいたユダヤ人のイスラエルへの移民が一段階増したのである。とくにロシアからの移住者は大学教授やエンジニア、医師など知識人が多く、5年間でイスラエルの科学者は倍増し、現代のITスタートアップ国家の素地をつくったのは、この時代の移民だとも言われている。

不毛の地に水を通し、
農業を興し、食料を確保した「キブツ」

 現在イスラエルでは毎年平均で2万人から3万人ほどの移民を受け入れている。その出身はロシアや旧CIS諸国、ベルギー、フランス、南米、南アフリカなど多様だ。
 ここで疑問に思うのは、数十年にもわたってこれほどの数の移民を受け入れ続けて、市民生活に混乱や軋轢が生じないかということだ。入植者に必要な住居を手当てし、電気や水道のインフラも整理をしなければならない。そしてこれだけの数と多様なバックグラウンドを持つ人々にヘブライ語の教育をし、さらに仕事の斡旋をする必要がある。政府にとっては大きな負担となっているはずだ。
 ましてイスラエルは決して豊かな沃土ではなかった。国土の60%は砂漠だった。雨季と乾季があるが、6〜8月の乾季にはまったく雨が降らない。水資源に乏しく、最大の湖となる死海は海水より塩分濃度が高い。周囲のアラブ諸国のような石油や天然ガスにも恵まれていたわけでもないし、銅やニッケル、チタンなどの鉱物資源に恵まれているわけでもない。端的に言えば不毛の土地である。
 だからこそ国家を維持していくためには国民が知恵を絞るしかなかった。新生イスラエルにとって人こそが最大の資源であったのだ。
 新生イスラエル人たちにとって、国家を維持するためには、まず水を確保し、国民が食えるだけの食料を確保する必要があったが、周囲を政治的、民族的に対立する国家に囲まれた状況では輸出入に頼ることはできない。食料確保のためには自国の農業を盛んにするしかなかった。
 そのために彼らがつくった組織が「キブツ」である。キブツとはヘブライ語で「グループ」を意味し、旧ソ連が採用した集団農業システム「コルホーズ」に似た組織である。自らの財産を持たず、それぞれの役割、畑仕事、炊事、洗濯などを分担して働き、報酬は全て平等。生活コストは無償。子供たちは親から離れて「子供の家」で共同生活をし、その教育も相互に協力して行う仕組みである。
 彼らは共同で生活しながら、農業の技術革新を図っていった。最初に取り組んだのは水の自給体制の確立だった。建国後、最初に入植地としたのは北にある、北海道のサロマ湖ほどの大きさでほぼ唯一の淡水湖「ガラリア湖」の周辺だった。彼らはまずガラリア湖の水を確保し、入植地の開拓と農業を広げていったが、水を大量に必要とするのは大都市のテルアビブである。また今後増え続ける移民の食料を確保するためには、南部の「ネゲブ砂漠」一帯を農業ができる場に変えていく必要があった。そのために構想されたのがガラリア湖からの水輸送網であった。

必要の母が産んだ、
砂漠を農地変える「点滴灌漑」技術

 この課題に取り組んだのが、ポーランドから移住してきた水のエンジニア、シムハ・ブラス氏である。彼は3段階の計画を立てた。
 第1段階ではネゲブ砂漠の地下にある水脈を探す。第2段階ではテルアビブの北のヤルコン川からネゲブ砂漠に水を輸送する。第3段階では北部の水を南部まで送り届けるというものであった。
 1955 年には第2段階まで進み、そして1964 年には第3段階に到達した。だが面積の小さい国とはいえ、200km を超える水輸送網の構築は大工事であったことは間違いない。
 この国家プロジェクトの費用にはドイツ政府(旧西ドイツ)による第2次世界大戦の賠償金が充てられ、またアメリカのユダヤ人からの資本提供もあった。
 こうして構築された水道網は法律の下に置かれるとともに、すべての水は国家の管理下に置かれるという法律が制定された。また1955年に制定された法律では水道メーターを経由しない限り、いかなる配水も禁止されることになった。イスラエルでは、この法整備で世帯ごと事業所ごとに水量の計測が行えるようになり、国民の水消費パターンに対するデータを政府が集積し、配水の最適化が行われるようになった。
 まさに現在のIoTの発想そのものである。この水輸送門が構築されることで砂漠地帯でも農業を可能にする基盤がつくられた。
 この安定的かつ計量可能とした配水システムの完成は、ブラスの頭脳を刺激し、イスラエルに画期的な農業をもたらすことになる。
 それが「点滴灌漑」である。点滴灌漑は特殊な構造のチューブから植物の根元に必要最低限の水を吐出できる灌漑システムで、そのヒントは1933 年、若いブラス氏が井戸の掘削のため滞在したある村で得たものだった。そこにはフェンス沿いに同じ種類の樹木が植えられているのだが、その中の1本だけが元気に成長していることにブラスは疑問を持つ。
 植えられた時期も同じ、土壌も同じ、天候の条件も同じであるはずなのに、なぜこの木だけが元気なのか―。調べると、その木の根元には灌漑用の鉄金属パイプがあり、わずかに水が漏れていたのである。
 彼はこの時の記憶を元に、1950年代後半から点滴灌漑のアイデアの具体化に取り組む。そして約10年後の1965年にこの技術を用いた生産施設が誕生する。以降、この技術は改善が重ねられ、砂漠を緑化し、農産物の生産性を引き上げていった。点滴灌漑技術は乾ききった砂漠に農業の可能性を与えた。それだけではない。この技術の恩恵は多方面にわたった。
 点滴灌漑は、人間やスプリンクラーで水を与える方法と比べて節水ができたのである。とうもろこしの事例では35% から55%の節水を実現している。作物の収量や品質の点でも優れていた。通常、水を過剰に供給すると作物の根が水浸しになって酸素不足になるが、水が不足することは作物にとってはストレスになる。水やりのプロセスはこの過剰と不足のストレスを作物に繰り返し与えることになるが、必要最低限の水を安定して吐出する点滴灌漑は、そのストレスを軽減ささせられる。
 またこの技術により、水と共に作物に必要な溶液を送ることが可能となった。従来は土と肥料が栄養素の供給源であったが、点滴灌漑を使えば土の役割は作物の根の固定だけとなる。
 さらに現在では環境の面の効果も指摘されている。農地に化学肥料が大量に撒かれた場合、この化学肥料が雨水と共に流れ出し、地下水や河川、湖沼に流れ込むこともあるが、化学肥料に含まれるリンや窒素が栄養素となり、湖沼で藻類の発生を招くことになる。藻が大量発生した場合は、水中が酸欠状態になり、魚が死ぬなどの被害が発生してしまう。必要最小限の溶液を直接根元に送る点滴灌漑は、化学肥料を入れる必要がなく、こうした環境へのインパクトを低減させるのである。

水の安定確保をもたらした、
世界トップの海水淡水化技術

 点滴灌漑は、南部への水道網が整備されたことで実現したが、イスラエルの水源は北部のガラリア湖だけである。そのため過去には乾季の間はガラリア湖の水量が毎日、新聞の一面で報じられ、国民はそのデータに一喜一憂したこともあった。このような天候に依存するリスクを軽減するために、イスラエルは海水の淡水化技術も早い時期に開発している。海水の淡水化の初期は、蒸気圧縮法と呼ばれる方法で、海水を加熱して蒸気を取り出す古典的な方法だが、蒸発室にアルミ管を利用するなど様々な工夫がなされた。さらにその後、逆浸透膜により海水を脱塩して真水を低いコストで製造する方法が開発され、2005 年には逆浸透膜法を採用した海水淡水化プラントがアシュケロンという地中海沿岸の都市で操業開始した。さらに2007年はパルマヒム、2009年にハデラでも同様のプラントがつくられた。
 これらのプラントはいずれも発電所のそばにつくられている。電力利用の少ない夜間に集中して操業させることでコストダウンを図っているのである。現在国内の水消費量の70% から80%が海水から淡水化した水だと言われている。
 イスラエルは農業技術と海水淡水化技術で世界トップを走っている。農業はコンピュータを使って工場化され、さまざまな野菜が各国に輸出されている。オリーブやコットンなどのほか、家畜も育てられている。
 イスラエルの大規模な水インフラの整備は、同国の建設土木産業と技術も発展させた。またキブツが各地に作られ、入植者のための住宅の開発も建設業界発展に寄与している。現在イスラエルのキブツは国内270拠点にのぼる。

初期の国防費を支えた
在外ユダヤ人からの支援とドイツ賠償金

 イスラエルの経済を支えた産業にダイヤモンド産業がある。ベルギーから移植してきたユダヤ人がダイヤモンド研磨技術を持ち込んだことで、建国以来の伝統産業になり、現在でも基幹産業の1つになっている。
 1960年代にはキブツで農業を支えるために除草剤や殺虫剤の化学産業が生まれた。
 こうした背景から1955年から1960年までの5年間は毎年13%の経済成長を達成し、1960年代に入ってからも10%を維持している。
 ただ建国直後しばらくは、中東アラブ諸国と衝突を繰り返し、国防費が国家財政を圧迫していた時期があった。
 砂漠地帯が国土の多くを占め、これといった産業もないまま移民受け入れ策を打ち出したイスラエルにとって、食料や消費財は輸入に頼るほかなく、国家運営は試練が続いた。この困難な時期を救ったのがアメリカをはじめとした在外ユダヤ人からの支援や、アメリカ政府からの軍事・経済援助であり、さらにはドイツからのホロコーストについての補償・賠償金であった。1952年の ルクセンブルク補償協定により西ドイツはイスラエルに対して30億マルクを物資で支払うことに合意している。イスラエルはこうした支援や賠償金で鉄鋼製品や機械を購入し、鉄道や道路、電気通信などのインフラ網を整えていった。
 水と農業にフォーカスした画期的な技術と大規模なインフラ整備で食料の安全を確保したイスラエルであったが、経済が安定したのは、1980年代になってからである。

1980年代に
コンピュータの進展に伴い
電子産業が急成長

 1980年代には電子産業が急速に伸びを示し、年率12%を達成。背景には国家安全保障の軍事ニーズがあった。イスラエルの経済は、初期には各国の支援や賠償金・補償金による大規模なインフラ整備から、軍事関連技術の発展、さらに1980年代から進んだ民需への転換によって伸びていった。
 2015年時点で、輸出産業分野別ではダイヤモンド産業が 23.6%で最大、次に電子産業が 21.5%、化学産業が12. 4%。医薬品産業が 10.6%、機械金属産業が 8.6% となっている。
 とくに牽引したのは電子産業であり、前述したように70年代から電子産業の研究拠点やスタートアップが生まれ、80年代にはコンピュータ、90年代になるとインターネット関連技術が牽引した。周知のようにインターネットは軍事技術として誕生し発展したが、生き残るために軍事技術に国家をあげて投資するイスラエルでは、関連技術が次々と誕生し、各国に買われていったのである。

世界初、
大学院サイバーセキュリティ修士課程

 とくにサイバーセキュリティに関する技術は世界最高とされている。サイバーセキュリティはまさに国家の存亡にかかわるため、イスラエルでは軍隊だけではなく、ベン・グリオン大学に世界初のサイバーセキュリティ修士課程が設けられている。
 医療も世界をリードしている。例えば2001年にメドトロニック社が開発した「カプセル内視鏡」は、カプセル錠の大きさの内視鏡で、バッテリーを内蔵し、消化器管の撮影を内部から行うことができる。検査が終わると体外に排出される。従来のように口からケーブルを飲み込むのではないので、患者への負担が少なくて済む。このカプセル内視鏡「ピル・カム」は世界100カ国で発売されており、日本の医療機関でも利用されている。また金融もブロックチェーンなどの技術を使い最先端を走っている。
 農業ではほかに、スーパーやレストランで当たり前にみかける「チェリートマト」もイスラエル生まれだ。チェリートマトはヘブライ大学農学部の教授が保存期間を長くするために研究開発するなかで誕生した。
 シェアオフィスの先駆けとなった「WeWork」もイスラエル生まれだ。共同創業者のアダム・ノイマンさんはキブツ出身で、彼はWeWorkを単にシェアオフィスとしてでなくコミュニティとして位置づけていることに特徴がある。
 こうした、とくにITや医療などのハイテク分野において―イスラエルにかかれば、農業も土木もあらゆるものがハイテク化されてしまうが―優れた功績を次々と創出できるのは、言うまでもなく優れた人材がいるからである。
 ユダヤ人は頭がいいとよく言われる。世界で優れた頭脳を証明する賞の1つにノーベル賞があるが、1901年から2019年までの間に与えられたノーベル賞950件のうち、その20%がユダヤ人だとされている。受賞ジャンルも物理学、医学・生理学、化学、文学、平和、経済学のすべてに及ぶ。世界人口で0.2%以下のユダヤ人比率を考えると驚異である。
 こうした人材はどのように育成されるのか。

個性を伸ばし、
自立を促す教育システム

 初期のキブツはイスラエル独自の教育方法の1つである。農業発展のための共同生活組織であったが、のちに工業生産も行われるようになり、イスラエルの産業発展に貢献した。一方でその子どもたちは親から離されて暮らしたため、大人になって親になるとキブツに入れようとしなくなり、一時期キブツは衰退した。そこでキブツでも親子で過ごせるように改革され、また共同財産ではなく私有財産も認められるようになるとキブツは復活した。
 イスラエルの教育システムは日本の6・3・3と大きく変わりはない。違いは小学校前に義務教育の幼稚園があること、高校までが義務教育となっていることだ。また給食はなく、家庭でつくり持参するか、一旦帰宅して昼食を取るかである。教材費は実費だ。
 独特なのは公立でも一般的な公立学校のほか、公立の宗教学校、イスラム教ドルーズ派が通うアラブ・ドルーズ学校、正統派のユダヤ教団体が提携するユダヤ教宗教学校の4つがあることだ。
 うち大半は一般的な公立学校に通うが、カリキュラムは、民族の歴史や伝統の継承に力を入れており、公立学校でもトーラーという聖書の律法の授業がある。数学や歴史、生物、語学のほか家族のルーツを調べ、レポートを書く授業あることがユニークである。
 大学は9校あるが、イスラエルの教育の特徴はその間に兵役が組まれているところだ。イスラエル国民は男女ともに皆兵である。男性は18歳から3年間、女性は約2年だが、一人ひとりの個性、能力をベースにしてチームワークやコミュニケーション力、判断力などを高めるようになっている。

 そしてこの兵役を終えた後、ほとんどの若者は1年間の世界旅行をする。高校などを出た後、大学に入るまでの1年を意識的に旅行や社会経験で過ごす「ギャップイヤー」は欧米では多く見られるが、イスラエルは兵役後に取ることが多い。ディアスポラの歴史から、世界中どこへ行ってもユダヤ人コミュニティがあるために、移動手段や宿泊先、観光地、ユニークな体験ができる場所といった必要な情報を得ることができるのもイスラエルのギャップイヤーの特徴だ。
 このため多くの若者が大学に入学するのが日本で大学を卒業する22歳ごろとなる。つまり、イスラエル人は歴史や宗教観を持った上で、同じイスラエル人としての個々の能力を生かしたチームワークや判断力を軍隊やギャップイヤーで身に着け、自分の個性を生かした自立した大人になっていくのである。

イスラエルの頭脳集団
「タルピオン」

 イスラエルの兵役は義務だからといって一律に同じことはさせない。実はイスラエルのエリートは軍の最先端軍事技術の研究開発や特殊部隊に入ることが多い。
 軍事力の高さはイスラエル国家の維持発展に欠かせないため、そのトップ集団は国内からスクリーニングされて選抜される。その仕組が「タルピオット」である。
 タルピオットは毎年30〜50人程度の理工系最優秀人材を選抜して教育するプログラムで、イスラエル独自の仕組みだ。
 毎年男女全員が軍の徴兵センターで能力試験、心理試験、健康診断、面接を受け、そこで健康診断と計量的心理テストの結果集計を行い、個人面接が行われて判断されるが、この対象となるのは高等教育でサイエンスクラスにいた生徒だけとされ、第1段階で3000人に絞られ、1日かけて創造性テストを受ける。そこで200〜300人に絞られ、2泊3日のワークショップでさまざまなビジネス課題や社会課題の分析をしてディベートを行う。その評価で100人に絞られ、最後にインタビューで30〜50人に絞られるのである。この幾重にわたる過酷なハードルを突破した50人のエリートには、その後3年間の集中的かつ実践的な大学カリキュラムと6年間の兵役が課せられる。
 大学の1年目では高等数学、物理学、コンピュータサイエンスを専攻し、
問題解決の基礎を学ぶ。同時に部隊に参加し、オリエンテーションを受け、2年目は3学科の学問の高度化および、より実践的な部隊の現場でのソリューションを体得する。3年目では習得した兵としての能力の実践的応用、先の3学科に加え、電子工学、航空力学、システム認証、軍事技術を習得するほか、歴史や哲学、美術史、アラブ研究などの人文科学も学ぶ。この間夏休みではフル装備でネゲブ砂漠の行進や、パラシュート降下訓練が行われるという。
 当然過酷さゆえに脱落する者もいるが、無事3年の課程を修了すると名誉ある「タルピオン」となり軍のエリートして各所に配属されるが、多くは新しいプロジェクトに加わるという。軍のなかでもとくにタルピオンの行き先として注目されているのがサイバーセキュリティ部隊の「8200」部隊である。同部隊の詳細は明らかではないが、防御システムの開発のほか、サイバー攻撃をしかけるための技術開発も担う。
 そして軍で6年間任務についた後、多くのタルピオンが進むのが起業という道である。もちろん大学で博士号を修得する者も多い。かれらは常に最新の軍事の実際に向き合い、その対策、解決のための最先端の知識と技術とノウハウを身につけてきた。よって技術レベルが優れていることはもちろん、軍事のどこに課題、すなわちニーズがあることも瞬時に読み解くことができるため、他分野のマーケットニーズもすぐに掬い出せるのだ。

イスラエルの先端技術が
アラブ諸国の足並みを崩す

 イスラエル国内のマーケットは小さい。したがって新技術や製品の売り込み先は海外となるが、その多くが市場規模の大きいアメリカである。既述の通り、アメリカのIT企業からは引く手あまたとなっているが、それには相手のニーズを読み、それにアジャストする技術開発力と技術修正力がイスラエルのスタートアップに備わっているからとも言える。
 実際アメリカは国家レベルだけでなく、州レベルでもイスラエルと密接なつながりを持っている。イスラエル国内にはアメリカの20の州がそれぞれ通商代表を置いているのだ。
 イスラエルの目覚ましい躍進に敵対するアラブ諸国の態度も近年変化がみられるようになった。とくに同じイスラム圏で盟主争いを続けるサウジアラビアとイランでは、サウジアラビアがイスラエルのサイバーセキュリティ技術にアプローチをかけているという。また湾岸諸国では、点滴灌漑技術で砂漠を豊かな農業地帯に変え、農業輸出国にのし上がったイスラエルからその技術を輸入する動きが加速しているという。
 イスラエルを巡るアラブボイコットの動きは今後大きなうねりとなる可能性もある。

いかに摩擦・軋轢が起きても
移民を受け入れ続ける国の覚悟

 イスラエルは今後も移民を受け入れ続ける予定だ。それはイスラエルという国家の大義でもある。2000年の時を経て一緒になるのだから、同じユダヤ人であっても個々に染み込んだ文化や習慣、言語も違う。すでに悠久の昔から離散した先によって、「スファラディ系」(南欧・トルコ・北アフリカ系)、「アシュケナージ系」(ドイツ・東欧・ロシア系)、「ミズラヒ系」(アジア系)など異質な集団が生まれている。現在移民は、国単位では70の出身国に分かれている。
 移民を受け入れることは、その移民が有する文化や社会性が摩擦や軋轢を引き起こす火種にもなる。イスラエル政府はそれを承知の上で、それら摩擦の克服のために多大なエネルギーを使い続けているのだ。
 移民たちは、イスラエルの地を踏んだ瞬間にイスラエル国民となり、身分証明書、パスポート、選挙権が与えられる。さらに半年間は無料でヘブライ語を学ぶことができ、税制上の優遇措置も受けられる。一方で移民はイスラエル国民となれば平等に徴兵される。

 摩擦は移民のバックグラウンドから起こるだけではない。近年はユダヤ教の超正統派に対する国民からの風当たりが強くなっている。超正統派とは厳格なユダヤ教徒でユダヤ教の学習をすることが仕事となっている。政府から出される補助金で生計を立て、黒い帽子と黒い衣装に身を包んで宗教学校に通い、日々経典を開いて学び続ける。彼らは兵役を免除されている。ユダヤ教の学習に専念するためだが、建国当時人口のだった3%超正統派は、現在12%を占めるまで増えた。いかに経済発展を続けるイスラエルでも、人口の1割以上の人間を食べさせ続けることに不満を持つ人が出てきており、イスラエルの政治を左右するようになったのだ。
 超正統派には「我々が経典の教えを守り、伝え続けたからこそ、2000年の膨大な年月を超えてイスラエルという国をつくることができた」という自負がある。
 決して今後も安定した発展が続くとは限らない。もしかしたら大きな転換点を迎えているのかもしれない。それでも、OECD各国がのきなみ人口減少に悩むなか、人口を増やし、人を育て、産業を発展させ、安全保障と宗教を基盤として繁栄に向かって進むイスラエルに、学ぶところは大いにある。

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